2018年4月29日日曜日

北朝鮮時間っていうのがあるなんて知らなかったよ。

めちゃくちゃ天気のいい日が続いていますね。絶賛GW中ですが、私は、近所の公園で、心臓リハをかねて午前中散歩。
とっても景色が美しいです。新緑のトンネルがキラキラしちょる。
今日Yahooのニュース欄に、こんなニュースが。
>韓国政府は29日、同国との間で30分の時差がある北朝鮮の標準時間について、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン、Kim Jong-Un)朝鮮労働党委員長は先日の南北首脳会談で韓国と同じ時間に戻すと述べ、融和姿勢を示したと明らかにした。(AFP=時事)



北朝鮮時間っていうのがあるなんて知らなかったよ。
韓国大統領と北朝鮮の金委員長の会見は素晴らしかったです。何よりも、平和が一番です。
日本はこの平和に、一体何を貢献できるのか。今の政府には期待できないが、隣の韓国の文大統領は日本に言いたいことがいっぱいあるはずだけど、拉致問題を日本の変わりに北へ伝えるなど、韓国にとって何の得にならないこともひきうけてやってくれてんですが。
さて、日本は韓国半島の人々の平和や幸せにに何をしてあげられるのでしょうね。
破壊やいがみ合いに変わるのは一瞬、友好の絆を築くのは時間がかかる

2018年4月28日土曜日

日本の滅びの道すじ

2017年の日本の人口。日本人減少、外国人大幅増加。

2018年04月24日 07:13
日本は既に移民国家だという声もある。日本人の人口は2009年から減り続けている。一方、グローバリゼーションの中、日本で暮らす外国人の数は増加し続けている。日本人の減少傾向の中で労働力は慢性的に不足しており、市場はこれを外国人労働者で補おうとしているのであるから当然のことだとも言えよう。
 13日、総務省統計局は2017年10月1日現在の日本の人口推計を発表した。集計時点の日本の総人口は1億2670万6千人で、前年に比べ22万7千人減少し、増減率で0.18%の減少と7年連続の減少となっている。日本人のみの人口は前年に比べ37万2千人の減少で減少幅は11年連続で拡大し続けている。

 一方、外国人は14万7千人の増加で、4年連続して増加し、その増加幅も拡大している。外国人の増加は、13年には3万7千人であったものが15年には9万5千人と拡大し、16年には13万6千人、17年には14万7千人と10万人を超えるようになった。この外国人の大幅増加の背景には東京オリンピックの関連工事や団塊の世代の労働市場からの退出等による人手不足の深刻化があると想像できる。
 年齢階級別の構成比を見ると、労働人口の核となり得る15~64歳人口は7596万2千人で、前年に比べ60万人減少し、構成比は60.0%で92年の69.8%以降低下し続けている。高齢人口である65歳以上人口は3515万2千人となり、前年に比べ56万1千人の増加で、構成比は4人に1人を超える27.7%で過去最高となった。 15歳未満人口は1559万2千人で割合は12.3%と過去最低だ。一方、医療介護の主な対象である75歳以上人口は1748万2千人で15年以降は15 歳未満人口を上回っている。


 都道府県別に人口増減率をみると、増加しているのは南関東などの7都県のみとなっており、東京一極集中が人口データからも裏付けられる。増加している地域は東京都が0.73%と最も高く、次いで埼玉県が0.28%、沖縄県が0.26%、愛知県0.24%、千葉県0.16%、神奈川県0.15%、福岡県0.04%となっている。一方、減少しているのは40道府県で、減少率が大きなものから秋田県が1.40%の減少、青森県が1.16%減などとなっており、下位5県は減少率 が1%を超えている。
 この人口統計からも日本人の人口減少が加速しており、労働力と消費力が急速に減少し、これを外国人移入者の増加で補っている現状が読み取れる。(編集担当:久保田雄城)

少子高齢化、と言われ続けて、国は、(政治家だけではなく、官僚も含め)とぉこまねいて無策を続けてきたので、当然の結果と言えるでしょう。
これが現実なので、何事も決定することが遅く、とても小さいところの利権を守ることにキュウキュウとしている守旧勢力が力を握っている、こなくっだらない日本でも、来て入ってきてくれる外国の人にとって、住みやすい過ごしやすい社会にしていくことを本気で考えて、制度や考え方をかえていったほうがいい。もう、外国人、とかいう呼び方も止めませんかね。

ただでさえ、閉鎖的な日本なので、意識して彼らと助け合わないと、私たち日本人が世界から淘汰され滅亡しかねないと思いますね。他の国から来た人々が
日本の文化の担い手になっていくような気がします。これまで以上に寛容さが求められる社会になって来ます。








2018年4月26日木曜日

GW近い。ここぞとばかりに、ガソリン価格が上がっていく

近所のガソリンスタンド(熊本県内チェーンENOS)のメルマガに登録しているんですが、週末に7円も上がるそうな。たっか。
GWに向けて着々と値をあげていきますね。先日原油価格の高騰の話に触れましたが。世界の景気に影を差すのではないか、と言う話です。
不動産やのおっさんからやいのやいのと文句言われるなら、アメリカの原油(もとはシェールオイル)を安く大量に輸入するのはいかがですかね。
自分は退院したばかりなので、2018年のGWは遠出の予定はありません。家でおとなしく読書してます(苦笑)たぶん。

2018年4月25日水曜日

働くって、いいもんだ。THE 25 YEAR TRAIN|熊本に転勤した車両がつなぐ、勤続25年の同期会。




発売25周年を迎えたサントリーの缶コーヒー「BOSS」と東京メトロのコラボ企画。東京メトロから熊本電鉄に移り、現在は「01形」くまモンラッピング電車として熊本市と熊本県合志市を結ぶ01系を東京メトロの運転士や整備士4人が訪ね、熊本電鉄の社員らと事故も故障も「何もない」日常の素晴らしさと、それを守り続ける誇らしさを語り合う

ある意味、熊電沿線に住んでいる(最寄駅まで徒歩30分)ので、自分も時々、熊電つ買います。
この記事にある、何も無い、1日、ってまた、25年続けられた、その積み重ねは不断の心がけのたまものです。素晴らしいことだと思います。

2018年4月23日月曜日

ローソンは利用客がスマートフォンのアプリを使って自分で決済できるサービスの実証実験を始めた。

今日、ロイターのニュースでこんなのがありました。近い将来の少子高齢化による労働力確保の困難を見据えた策のひとつですかね。無人レジとか、ありますね。でも、アメリカでは無人レジは結構ふつうにあります。
コンビ二ではなく、スーパーで。
朝や昼の混雑時にレジに並ばなくて済む。利用客の少ない深夜時間帯には「無人レジ」化を進め、従業員の負担軽減や人手不足の解消につなげる狙いもある。
 5月31日まで実施し、販売への影響などを調べる。利用客の意見も踏まえてサービスを改善し、今年の秋ごろから他の地域へも順次展開していく。
 名称は「ローソンスマホペイ」。利用客はローソンの公式アプリをダウンロードし、買いたい商品のバーコードをスマホのカメラで読み込んで決済する。
全くの無人店舗は難しいでしょうね。


ひとまず、東京都内の3店で試験を行うようです。まぁ、日本であればうまく行きそうに思いますが。
こういうサービスのあり方は国ごとの違いはなくして欲しいです。
アジア共通の手法、とかあればいいのですが。

加えて、コラム大和証券のアナリストのコラムですが、今世界的には比較的好景気、ということになっています。山谷で言えば、山。
いずれ谷に向かいます。これは経済の原則です。その兆しを見るのは原油など商品相場になるのではないか、よく言われる相場格言のセルインメイに備えて、原油価格の動きに注目、と言う趣旨です。
ちなみに、先週まつのNY原油先物価格の終値は68ドル40セントでした。いつの間にか高くなっています
ただ、原油価格が上がると、シェールオイルに沸くアメリカの景気はさらによくなる可能性もあります。
悪いことではないようにも思えますね。もちろん、高ければ生活費の高騰を招き庶民の暮らしに直撃します。何事もバランスですな。急激な変化が一番よくない。


国際通貨基金(IMF)は17日公表した世界経済見通しで、2018年と2019年の世界成長率予想を1月時点と同じプラス3.9%に据え置いた。
2018年に入り各国のマインド指標が弱り始め、世界経済の成長ペースが鈍化したとの見方に比べると、2017年実績プラス3.8%よりも成長率は若干加速し、向こう2年間も4%近辺を維持できるという楽観的な見通しだ。
数四半期先には下振れリスクが上回るとも記されている。具体的な下振れリスクとして、1)金融の急激な引き締め、2)貿易面での緊張の高まり、3)地政学リスク、などが挙げられた。

もう少し長い目でみた投資戦略として、昨秋からヘッジファンドの一部が、コモディティー投資(原油から非鉄金属まで)のウエートを引き上げているとの話が聞こえてきた。その根拠は、景気後退に近づく回復局面後期に商品相場が大きく上昇するというものだ。
2007年から2008年夏にかけての原油相場の急上昇を彷彿(ほうふつ)させる動きとなりかねない。筆者はここ数年、WTIベースで1バレル当たり40ドルから60ドル程度が居心地の良い水準とみていたが、投機資金の流れが加速すれば、70ドル超えも十分にあり得ると今年初めに見方を変えた。そして、今まさに70ドルを実現しようとしている。
ただ、注意すべきは投機筋の原油先物の買いポジションが極端に積み上がっていることだ(米商品先物取引委員会=CFTC報告は4月10日週で70.7万枚)。価格乱高下リスクには備えておきたい。今年の「セル・イン・メイ(5月に売り抜けろ)」は、原油発となるかもしれない。


確定拠出年金

ついに、自分の勤めている会社でも、企業型のこれが始まりました。
少し前に日本版401kと呼んでいたものです。いわゆる、私的年金です。国民年金は公的年金という。最近は個人型のこれが流行っています(いわゆるⅰDecoです)
企業型も、個人型も401kの最大メリットは税制上の優遇でしょう。
従来の企業年金は企業がが年金額を固定して決めていて、確定給付型年金と呼ばれていました。
これはバブル期以降、特に2000年以降の株価の低迷で、企業がそのコスト負担に耐えられなくなり、確定給付型年金は幻想であることがわかり。ほぼ破綻しました(確定されている給付額に対して積み立て不足が露見して決算時に清算必要に迫られて企業経営に大きな影を落としました)。株価が右肩上がりで高度成長を続けていた世の中であれば、一般企業のたいしたことのない運用能力でも続けられ得た制度だったのです。
職場復帰してすぐにこの制度の手続きの初段の締め切りがあったので、すぐに手続きしました。
ただ、拠出上限額が少ないです。マッチングのため個人(社員)の拠出上限が私の収入レベルでは1.1万円でした。個人的に、401kの拠出金はもっと多くなるのかと思っていたんですが。これは企業型だから、企業負担分がやはりある程度おおきいんでしょうね。
恐らく、今後、この拠出金をどのような比率で運用していくか選択する必要が出てきます。


自分の会社の場合どのようなファンドの選択肢があるのか、(ある程度、想像通りでした)
詳細続きは、またいずれの機会に。
比較的、自分は2000年前後から金融商品に触れる機会があったので、人並みに知識はあるつもりではありますが、それなりに授業料も払ってきました(泣)そういうところにかぎって落とし穴があるもんだけど(苦笑)

2018年4月22日日曜日

本の整理

退院して2週間。
家の片付けや整理もしながら。独り暮らしなのですが、心不全の身としては食生活には注意しなくてはいけません。関東から熊本に引っ越してきた時に、周波数が合わないため、それまで使っていた電子レンジを捨てて以来10年ほど、レンジ無し生活でしたが、退院して速攻、アマゾンに電子レンジ発注しました。
買ったのはこれ。



操作系は時間と出力(3段階)なのでいたってシンプル。シンプルで十分ッス。


また、既読の本を片付けて。今日、28冊(ほとんどが単行本)、ブックオフにもって行きました。28冊で650円になりました。

整理した本の中には、塩野さんや、宮城谷さんの本があったのですが、これらは捨てられないな。。。

あと、20年ものの、Sonyの25型ワイドTV(ブラウン管)があり、処分したいのですが、
ハードオフや2nd Street(熊本のリサイクルショップ)からは引き取りは拒否されました。これは廃品回収かな。


レンジを買う際に、血圧計も購入しました。心不全もちなので必須ですな。
2週間ほど使用していますが。腕に巻くのが比較的簡単で良いです。
単3電池4本です。ACアダプターは付いていませんが買うと結構な値段アマゾンで3500円
一応電池で問題なく測定できていますが、スイッチの反応が悪い時があるのでACアダプター買うか迷い中。


それと、こんなものも買いました。






2018年4月21日土曜日

山田の藤


今日はお仕事お休みですので、ずっと以前から気になっていて訪れていなかった、玉名の山田の藤を観に行きました。
もう少し混んでいるのではないか、とややびくびくしながら行きました。混雑は嫌いです。
208号のバイパスから行くと、蛇ヶ谷公園過ぎて北(右)に折れて行きますが(小さい案内板あります)この道がやや狭いです。大型バスが通ると離合がむずかしいかも。神社の向こう側駐車場があります。20台か30台分くらいかな。無料です。蛇ヶ谷公園近くを通る農道から左折しても行けると思います。
山田の藤はこの道をまっすぐ行ってほぼつきあたりにある山田日吉神社の境内にあります。
写真の藤棚の下にいるとは藤の花のや柔らかな花の紫色に包まれますが、また加えていい香りにも包まれます、あぁ、世界はかくも美しいのか、と感じました。また来年も来よう。そろそろピークなので来週末は時期ではないかもしれません。


(2018.4.21 山田の藤  by α6000 SEL24F18Z  F 5.6 ISO100 1/200)



(2018.4.21 山田の藤  by α6000 SEL24F18Z  F 8 ISO100 1/100)


(2018.4.21 山田の藤  by α6000 SEL24F18Z  F 11 ISO100 1/125)


(2018.4.21 山田の藤  by α6000 SEL24F18Z  F 10 ISO100 1/100)



(2018.4.21 山田の藤  by α6000 SEL24F18Z  F 8 ISO100 1/125)



(2018.4.21 山田の藤  by α6000 SEL24F18Z  F 8 ISO100 1/125)


(2018.4.21 山田の藤  by α6000 SEL24F18Z  F 8 ISO100 1/125)





2018年4月20日金曜日

職場復帰(2018病(4終))

退院後、食生活に気をつけながら2週間ほど自宅にいました。とはいっても、お見舞いに来てくださったかたへのお返しや、世話をかけたかんとうのいもうとへのお返しの手配でリハビリをかねてくるまであっちこっち行ってました。1日6000歩の運動量を確保するために近所の公園で散歩もしてました。
また、生命保への申請での電話やショートメールを使った交渉があったりしました。
自分が加入している保険会社は海外の代理店とかが恐らく無くて、上海で入院したことは中国から連絡していたのですが、ちょk右折ケアすることは出来なくて、診断書などの書類は
郵送で送る、と行ってましたが、正直、自分の手元に届くことは懐疑的でした。案の定届きませんでした。
心配だったので、病院に診断書を書いてもらうに当たって必要な項目をショートメールで質問して、病院の先生に書いていただいたのです。これを帰国して退院した後に、保険請求時に添付したら、正式の診断書ではないから受け付けられない、と言ってきました。再度その保険会社所定の診断書書式で上海の病院で診断書を書いてもらえ、という、むちゃくちゃな要求。さすがに同じ客商売している身として、よくこんなことを平気で言って来るな、保険会社の相手している人が元気な人ばかりがあいてならそれもいいでしょう、なんかおかしい。しかも、保険会社から言われた必要な項目は私が添付した書類には書いてあるのです。
このやり取りは、著しく私を疲れさせました。
海外に出かける機会が多い人は、国外に代理店が無い保険会社はぜひとも止めたほうがいいです。
書類の書式にこだわって、仕事が出来ない会社なんか保険会社辞めてしまえ。と思います。

自分の頭が半分しか生き残っていない不安とか、こういった思うように行かない場面があったりして、いらいらしたりしましたが、このことを正直に医療関係の知人にぶっちゃけて相談して、いらいらは一番よくない、と、今の自分を自分が受け止めてあげないといけないよ、と励まされて、少し心が楽になったと言うか。
そんなコンなしているうちに、職場復帰の日を迎えました。会社までの道はとてもドキドキして、会社の敷居が高く感じました。まるで新入社員の気持ちです。
焦ってかなり早めに出社。通常の出社時間より1時間半早く出社。
職場復帰の初日に産業医の先生と面談して、当面のしごとの進め方をもちろん、いろいろ制限がありますが、焦らずに少しづつ慣れて行ってください、と言われました。
sまた、会社の同僚にあえて笑顔で迎えてくれたのがうれしかったです。
初日はあっという間に過ぎました。あれだけ膨らんでいた不安は帰宅のときはずいぶん小さくなっていました。
案ずるより生むが安しですね。

入院している時読んだ「風は山河より(宮城谷昌光)」の一節にこういう言葉があります。
「月に盈ち欠けはあるが、やはり月はあれだと指さねばならぬ」確か文庫本三巻の140p。
主人公新八郎は拾った四郎にこういわれて心骨が震えるほどの驚きを感じます。
私も、この言葉に深く感じるものがありました。
この後に少し説明が入るのですが、「この世に、見つめる者の両眼を灼くような日(太陽)を指せる者はほとんどいない。人は月や星を指すしかない。いや、実際に月や星を指す者も寡ないであろう。

これは守山崩れ(松平清康が短期間の三河統一後に起こした尾張侵攻途上で、突如家臣の乱心で命を落とす事件。)があったあとの場面です。松平清康に家運の拡大の望みをかけていた主人公が清康という太陽を突然失い、例えようも無い喪失感と挫折感を迎えていた矢先の場面。
そのとき、四郎の「やはり月はあれだと差さねばならぬ。」という言葉にはっとするわけです。
自分も恐らくそうなんです。
自分も「月にみちかけがあろうとも、やはり月はあれだ、と指さねばならぬ。これからははそういう人生で無いといけない」と思ったんです。






入院中の生活。専ら脳の検査とリハビリやってました。。(2018病(3))

上海の病院から日本の病院へ
日本の病院ではまずは神経内科病棟にいました。途中から循環器病棟へ病室移動。
今は退院していますが、同じ病院で、結局3箇所の病室を経験しました。神経内科と循環器科。
今思えば、入院中はずいぶん楽な生活をしていたと思います。
以前、といってもずいぶん前ですが、20年前、腰椎の圧迫粉砕骨折で8ヶ月入院した経験がりますが、あの頃に比べると、病院の環境はずいぶん快適に変化したように思います。
病院食は、中国と比べるとまだ改善の余地はると思いますが、これは文化の違いがあるからむずかしいでしょうけど。
それでも、昔に比べると、ずいぶんよくなっていると思います。
個室とか、多人数部屋でも快適さは違うでしょうけど、私は今回の入院では中国では個室でした、しかもシャワー付き。
日本では4人部屋とか多人数部屋でした。20年前は6人部屋でしたね。

さて入院中の生活を振り返ると、

6時頃起床。
午前中、8時に朝御飯を食べた後、1時間病院内を歩き回って、心臓向け自主リハビリ、その後
毎日、午前10時から、脳梗塞のリハビリ。リハビリといっても、初期は注意力とか集中力の検査がメインでした。中国では、左側の視野が欠けている、と言われてましたが、自覚していませんでした。
脳梗塞になって改めて「人間の脳」というものがものすごい器官であることを、痛烈に知ることになるのですが。
視野欠損は日本で調べた時にはそれほどではないとなりました、中国の入院や入院直後の治療である程度回復したのかもしれません。
人間は目で見て認識する、視覚による認識力とは別の、空間認識力と言うものが、あるそうです。
まるで、アニメのニュータイプとか、スターウォーズのフォースのような?こういったものが衰えていないか、注意力とか、短期的な記憶力が衰えていないか、さまざまなテストを行い検査して、劣化していれば、リハビリして、機能を回復させる、という方針だったようです。このテストがすごく嫌でした。
すごくしんどかったです。脳梗塞になる前のできがわからないだけに、検査の結果に満足や充足感がなく常にもやもや感がりました。不安感が大きかったです。
どんなものがあったかというと、

こんなものとか、
こちらはSDMT テストとよばれるもの。
同じ形記号のしたに符合する数字を入れていくもの。制限時間内にどのくらいできるかが問題。

こちらはtmtテストとよばれるもの下の絵は数字だけと数字アルファベットになっていますが、自分はすうじだけのものと、数字とひらがなの組み合わせのテストをしました。これもどのくらいの時間でできるかが問題。







SDMTは半分もできていなかったと思います。
メモリーアップデートテストもかなり出来が悪かったように思います。
これが果てしない不安感につながり、、、、、、、しんどかったです。
これらのテストは自動車の運転の許可不許可(運転適性検査)にかかわります。
結果から言えば、運転の許可は頂いたんですが。。。。。


脳梗塞の検査は1時間ほど、これが終わると12時から昼ご飯。
食事が終わると午後1時から午後の心臓リハビリ。
いずれ書きますがCPXの検査を行い、これで心臓にかけられる限界の負担運動量を事前に調査しています。
その限界を超えないように、リハビリします。
自分は拡張型心筋症なので何もせずに心筋を使い続けるといずれ止まってしまうので、薬(βブロッカー)で心筋の動きを抑えつつ、限界の運動量をすることで心臓の動きが弱くても活動できる身体作りが必要。これが心臓リハビリ。
歩いたり、エアロバイクである程度(坂道の勾配を変えるような感じで)負荷をかけながら自転車漕ぎをします。1時間ほど。
これが終わると3時くらいなので、気分転換で1~2時間散歩。歩くスピードに注意しながら、
退院間際は1日6000歩歩くことが目標になってました。
散歩が終わると、お風呂が空いていれば30分入浴(シャワー)。その後、程なく6時から夕ご飯。
食事が終わると、コインランドリーで洗濯。
10時には消灯。
自分は自宅でもテレビが無い(正確には映らんテレビはある。衛星放送用のチューナーがない。)生活だったので、病院でも見ていませんでした。国内の病院では1日300円という契約が必要だったような。。。


2018年4月18日水曜日

次から次に。(2018病(2))

その後中国の病院で3週間程入院が続き検査しました。
脳梗塞の原因がどうやら心臓にありそう、となって。心エコーや造影剤入れた心臓のCTを撮ったりしてました。
CT撮影の日の朝、造影剤をいれるための留置針を腕に入れます。
その日の午後、CTの部屋に案内され、CTのベッドに横たわったまま、留置針から造影剤を入れられ、CTの撮影が続き、ます。予め
言われてましたが造影剤が入るとその瞬間入った部分自分の胸の辺りがかーっと熱く感じます。それで検査は終了。
造影剤を入れた日はとにかく水分を多めに摂取して造影剤がおしっこに排出されるようにします。
心臓の検査が終わり、左の心室の心筋が肥大していることがわかりました。冠状動脈に深刻な異常はありませんでしたが中国の、先
生が仰るところでは、日本に帰国しても循環器のフォローアップが必要、とのこと。


体力の維持の為に病院内を歩き回っていました。

(20182月21日上海の病院から見える風景(陸家嘴方向)byスマホP10Plus




















 
(20182月23日上海の病院から見える風景(陸家嘴方向)byスマホP10Plus






















 
(20182月26日上海の病院から見える風景(陸家嘴方向)byスマホP10Plus




















 
(2018年2月9日病院から見える風景(陸家嘴方向)byスマホP10Plus
















(2018年2月9日病院から見える風景(陸家嘴方向)byスマホP10Plus




















 
(2018年2月10日病院から見える風景(陸家嘴方向)byスマホP10Plus



そうこうしている内に、2月半ばになり中国の同僚(中国では老板の立場の方)の自宅に招待され年越し。丁度、春節だったんです。中国でも年末大晦日の晩はテレビで日本の紅白のような番組をやってました。日本と比べると、中国の各民族の紹介とかあってスケールが大きく、違う。歌だけではなくコントとかあって言葉はわからなくてもそこそこ面白かったです。
また、ここで新年を迎える料理を頂きました。地鶏のスープや上海ならではの八宝飯日本のおはぎのリバース版多分、おはぎのルーツ。がマヂ美味かった。イシモチの煮魚がヤバイくらい美味かった。

 
(2018年2月15日同僚宅での春節ご飯左上がイシモチ煮魚)byスマホP10Plus
(2018年2月15日同僚宅での春節ご飯の八宝飯おはぎの逆。もち米が外側。中があんこbyスマホP10Plus。)


(2018年2月15日同僚宅での春節ご飯の湯円byスマホP10Plus)

まさか中国でイシモチの煮魚がべられるとは。感激。
今回の病気で、北京の同僚も激しく心配して、招待してくれた老板が、逐一、私の状態をは仲間のみんなに知らせてくれたり。中国の人の心の篤さが身に沁みた。
また入院中に、いつも激しく罵声をあびせていた上海のお客さんまで見舞いに来て頂いたり。
上海の病院では、特にリハビリはなく、自分で病院内を歩き回ったり、スクワットをしてました。
中国の病院食はすこぶるおいしかったです。正直な話、すごく快適で居心地がよかったです。
(2018年2月15日 上海の病室のベッドbyスマホP10Plus)


(2018年2月21日 上海の病室byスマホP10Plus)
 
 (2018年2月21日 上海の病室byスマホP10Plus)
 (2018年2月21日 上海の病室byスマホP10Plus)
(2018年2月21日 上海の病室byスマホP10Plus)
(2018年2月4日 上海の病院(晩餐)byスマホP10Plus)
 (2018年2月4日 上海の病院食(昼餐)byスマホP10Plus)
 (2018年2月25日 上海の病院食(晩餐)byスマホP10Plus)
 (2018年2月16日 上海の病院食(朝餐)byスマホP10Plus)
朝餐はお粥と、肉まん(包子)とゆで卵。お粥用のザーサイの小袋つき。と牛乳。の定型。

 (2018年2月6日 上海の病院食(昼餐)byスマホP10Plus)
心臓の病気ということもあり、基本的に高血圧対策された料理であるはずなのに。



  (2018年2月5日 上海の病院食(晩餐)byスマホP10Plus)
パイクーがあったり、海老の炒めものはかなり頻度高かった。

(2018年2月7日 上海の病院食(晩餐)byスマホP10Plus)
ぱっとみ塩分多めなんだけど、ほうれん草っぽいものや、 芋

 2018年2月8日 上海の病院食(晩餐)byスマホP10Plus)
中華の家庭料理定番、トマトと卵の炒め物。すげー旨い。トマトやキャベツなどカリウムも多め。

 2018年2月9日 上海の病院食(昼餐)byスマホP10Plus)

 
2018年2月9日 上海の病院食(晩餐)byスマホP10Plus)
山芋もカリウム多い。

(2018年2月25日 上海の病院食(晩餐)byスマホP10Plus)



通常の病室に移り、約3週間後に退院帰国となり、熊本の自宅に近い病院に転院しました。
国内の病院食
(2018年2月27日 国内病院の病院食(晩餐)byスマホP10Plus)
日本の病院食はもっと頑張っていいと思う。。。。


脳梗塞の発症から一ヶ月で脳梗塞部位の傷ついた細胞が安定しているので空路を使用した帰国にOKが出てようやく帰国の途に付き
ました。これが2月末のこと。

結果的に、通常の病室に移り、約3週間後に退院、帰国となり、熊本の自宅に近い病院に転院しました。
中国の病院は素晴らしかったです。先生もたいへん優しかったし、分からないことを分かり易く説明していただいたので
、不安感を抱くことは少なかったです。看護師の方たちも同じく。
上海の病院から空港まで救急車で運ばれ、病院の先生(これまで余り面識は無かった)と保険会社の人が同行することに
なり、飛行機は東方航空だったので、時間通り飛ぶのかなと言う辺りがイマサラ心配でした(笑)
飛び立つのは30分遅れにもかかわらず、不安に反して、ナント、福岡着は予定より20分ほど早かった。
上海~福岡便は何度も使ってますが、初めてビジネスクラス。
転院先の日本国内の病院でも検査が続き、中国病院の見立てどおり、脳梗塞の原因が心臓の不整脈にあるらしいことが確
実で精密検査の為に心臓カテーテル検査をしました。冠状動脈に目立つた異常は見られず。
脳梗塞になる原因のかなりおおくの部分が心臓が原因であるそうです。
心臓の不具合関連での脳梗塞は例が多く、例えば、元巨人のミスター長嶋監督も不整脈起因の脳梗塞らしいです。心原性
脳梗塞と言い、心臓の動きが悪くなると、心臓の中の血液が淀んで、小さな血の塊が出来て、これが脳の血管を塞ぐとそ
の血管から先の脳細胞が死んでしまい、脳梗塞になる。中国語では脳梗死と書く模様。
転院先の国内の病院でも検査がつ続き、脳梗塞の原因が心臓の不整脈にあるらしいことが確実で精密検査の為に心臓カテーテル検査をしました。冠状動脈に目立つた異常は見られず。
心筋症、人の心臓より左心室の筋肉が1.3~5倍あり動きが悪く、肥大型心筋症から拡張型心筋症になりかかっているらしく。このまま放っておくと心筋梗塞になり突然心臓が止まりかねない
拡張型心筋症は難病指定されているらしく。根本的な治療は心臓移植しか手がない。ひと昔前まで全くどうにもならない病気だったらしいです。昨年から突発性難聴といい、大学の時の友人から、他の人に先んじて大変な目に遭っているね~
と言われ、、、
脳梗塞だけでなく、心筋症とは。
水泳やっていたので、心肺機能は自信があったんですけどね。ここでまた絶句、ショック。
自分の体のポンコツぶりにがっかりです。




心臓の不具合関連での脳梗塞は例が多く、例えば、元巨人のミスター長嶋監督も不整脈起因の脳梗塞らしいです。心原性脳梗塞と言い、心臓の動きが悪くなると、心臓の中の血液が淀んで、小さな血の塊が出来て、これが脳の血管を塞ぐとその血管から先の脳細胞が死んでしまい、脳梗塞になる。中国語では脳梗死と書く模様。
またこの病気になって初めて知ったんですが、脳梗塞になった人が車の運転して事故を起こすと、飲酒運転上の事故の様な扱いになり厳罰化されているそうです。
自分は車の運転の許可を取るべく、病院でリハビリを続けました。
リハビリについてはまた別項に書きます。





2018年4月17日火曜日

遡ると、今年2018年1月の中旬。(2018病(1))

遡ること3ヶ月、今年の1月の中旬のこと。
丁度、北東アジアに強烈な寒波が近づいていた時。よりにもよってか、毎度のように、まるで図ったかのように、私の中国への出張機会がありました。予定は、北京に2日、上海に2日、の一週間ほどの短期間の予定でした。
北京でお客さんへのトレーニング(テクニカルのレクチャー)を行った後、北京の同僚が中国語で、ミンテン、シャンハイ、ダーシユエ(だーは大、シュエは雪。)つまり明日、上海は大雪だよ、と軽ーく言われて。「え?」
北京のオフィスに戻って、翌日上海へ移動予定の飛行機の予約をキャンセル。
中国の飛行機は時間通り飛ばないのが普通ですが、飛ばないこともあります。二日後に上海のお客さんに北京で行ったものと同じようなトレーニング予定があったので、急遽、北京~上海間を鉄路、新幹線を利用することになりました。どうしても移動するなら、鉄路のほうが確実、と言う判断がりました。中国で新幹線に乗る際、中国の人ならばスマホで予約して、駅でチケットを受け取る、日本でもよくあるスタイルで利用可能なのですが、外国人の場合、やや面倒臭いんですが、北京のような大都市ならば街のあちこちに鉄道会社の代理店(エージェント)があるのでそこでチケット購入します。現地の同僚と一緒に買いに行き、チケットは無事入手しましたが、ただ、不安なのは、これまdねい中国の新幹線には一度も乗ったことがなく、システムがよく分からない。















(2018年1月24日、中国新幹線のチケット byスマホP10Plus)

その晩は現地の同僚達と美味しい水餃子をつつきながら、楽しく宴会して、迂闊にもかどこをどうしてホテルに帰ったのかさっぱり記憶がない_| ̄|○
翌朝、ホテルからタクシーで北京南駅に行き、新幹線に乗るまでは比較的順調でした。が

(2018年1月25日、北京南駅 byスマホP10Plus)

 (2018年1月25日、北京南駅 byスマホP10Plus)



 (2018年1月25日、北京南駅 byスマホP10Plus)

    (2018年1月25日、北京南駅 byスマホP10Plus)

(2018年1月25日、北京南駅 byスマホP10Plus)
 
(2018年1月25日、北京南駅ホーム中国の新幹線 byスマホP10Plus)


新幹線車内で切符を無くし、しかしこの切符は後で奇跡的に戻って来ました。
目的地の上海虹橋に近づくと車外が尋常ではない大雪になってて上海虹橋空港らしい風景が見えそろそろかなと降りた駅が間違って蘇州(スージョウ)駅に降りてしまいました。

(2018年1月25日、上海虹橋駅付近 byスマホP10Plus)


(2018年1月25日、上海蘇州付近 byスマホP10Plus)
 

(2018年1月25日、上海蘇州付近 byスマホP10Plus)


上海虹橋で降りるはずが間違って、蘇州駅で降りました。とにかく寒くて寒くて北京の日本人の同僚と電話で話している内に、上海は大雪でタクシーで蘇州から上海市内に行くのは無理。警察を呼んで近くのホテルまで行き、一晩泊って翌朝新幹線に乗り直して上海虹橋に行った方が、良い、ということになり、警察の車、バトカーに乗ってついた所がホテルと思いきや、ロビーで待つてても無人。ロビーの長椅子で横になりうとうとしていたら朝になり、上海の同僚が迎えにきた車に乗ったものの自分の様子がおかしい、ということになりそのまま病院に直行。この時点で意識はやや朦朧としてました。(あとでわかったことですが、パトカーによって運ばれた咲はホテルではなく、警察署だったことがわかり。警察署のロビーの長いすで一晩過ごしていました。

病院で簡易的に視野の範囲の確認などをされて急遽CTなどの検査するべき、と言う判断になったらしく気がついたら見知らぬ天井、
点滴や心電図に繋がれててgいわゆるICU集中治療室で寝てました。本来そこにいるはずのない日本の上司(とその上司)がいて、超絶ビビったことは憶えていますがその辺りまでかなり記憶が飛んでいます。おまけに数日の後、関東に住んでいる妹が来ていて、あーなんか大変なことになっとるなー。ということがおぼろげにわかり。
一週間程ICUにいて、通常病室に移りました。
そこの病院は医師だけではなく、看護師も日本語が通じて、一部看護師のスマホの通訳機能を使いながら医師の疎通に困ることはありませんでした。(中国の同僚の判断でその病院になりました。)
医師の説明や、上肢や下肢のちからの入り具合を何度となく、確認され、自分が脳梗塞になったことを理解しましたが、「脳梗塞、」と言う言葉が重くて、自覚症状がなく、妹も日本を出る時(成田空港で)に次帰国する時、自分の棺抱えて帰国するだろうと考えていたらしいです。(入院後一週間(ICU)が山場だったので、親族(妹)が呼ばれた。)
ただ、病院に運ばれた対応が早かったことも幸運だったようです。
いつ発症したのか?と言う辺りが重要なのですが、正直、北京から上海までの移動ではとにかく寒かった、という思いしかなく。
頭が重いとか、視野が狭いとか、半身が痺れているとか自覚症状が無く、脳梗塞(頭の半分(右側の大部分は死んでいる、)というのは、かなり後で自分の眼でCT画像を見るまで知らなかったです。(お医者さんの説明でなんとなくそうなっているらしいことは伝えられていましたが。)


後で脳のCTを自分でも確認しましたが、右側1/3強くらいが白くなって脳細胞が死んでました。MRIで脳の血管が塞がれているところも見ました。CTの写真はあるんですが、ここで掲載はなまなましくさすがにためらわれるので。絵にしました。こんな感じ。


中国人の先生から、脳梗塞発生後起こる脳浮腫などであと少し中心部まで影響が拡がっていたら半身不随、右ではなく左側なら言語障害も起きていた。幸運でしたねーラッキーでしたねーと、さんざん言われました。そんな、何回も言われ、運も使い果たしたよ、と思いました。
中国の残念なところは、スマホがあっても、ググって調べることができないこと。
病院や病室は無料のWiFi環境があったので、Yahooya
NHKアプリでニュースは見れましたが。以前もこのブログ出書きましたが、ググれなくても可能だった昨年夏頃からYahooの検索も不可能になっていて、脳梗塞というものが何ぞや、これからオイラどうなるんだ?ということがさっぱり分からない。もちろん先生に聞くことは可能ですが。
一週間くらい絶望と訳が分からないことで悶々としました。日本に帰国して、調べて次のことが分かり、絶望感に浸りましたが。脳細胞は再生しない。脳梗塞になって死んだ部分は修復されない。ってこと。