2018年1月4日木曜日

熱烈な相撲ファンではありませんが


やや時期遅れな話題ですが、相撲の事件について書いてみようと思います。
自分は熱烈な、という形容詞がつくほどの相撲ファンではありませんが、そこそこ好きなほうだと思います。

相撲というより、日馬富士の引退に関わる事件は私にとってはとっても意外な印象でした。
安馬と言う名の時代から印象的なお相撲さんでしたが、頭角を現して横綱になったのは納得のいく経過でした。
ただ彼について思うのは、勝負師としてはとても優しすぎるところがある、と感じていました。
勝負に徹しきれないところがあるような、そんな人柄を感じていました。
上位陣には強く、下位陣にはあっさり星を落としてしまうようなところも、優しさ(人柄)とは関係ないでしょうが、心情的に結び付けて考えてしまいます。
そんな彼が暴行事件を起こしたと言うのです。にわかには信じられませんでした。
もちろん、彼をいつも見ていたわけでもなく、彼の人柄はネットの記事を通じて知っている程度のものなので、全てを知っているわけではありません。
でも、モンゴル人という出自ながら(恐らくほとんどの海外出身力士はそうだろうと思うのですが)日本人以上に相撲を愛し、相撲力士に誇りと責任を感じていたように見受けられました。

ネットでは一部の人の白鳳関や引退した日馬富士への非難があるようですが、多くの相撲ファンはモンゴル人力士をモンゴル人としては見てないと思います。
特に地方での相撲人気は大きいものがあります。地方に行くほど、横綱への人気や尊敬の念は大変高いです。
彼らは大勢の力士と同じく、力士の中の一人であり、ともすれば古いしきたりに縛られて衰退しかねない相撲を盛り上げる貴重な数少ない力士です。
彼らを追い出したら相撲はきっとつまらない物になるでしょう。
白鳳関は相撲史に残る大横綱です。報道や料簡の狭いネットの評判は彼や彼らに対するリスペクトがあまりに希薄で驚いてしまいます。
相撲は単なるスポーツではなく、日本の相撲界とそのファンが代々積み上げてきた伝統技能でもあります。
伝統技能とそれを支える力士たちへのリスペクトが無ければ、相撲はいずれ消えてしまうか、単なるショーとしてでしか生き残れなくなるでしょう。
果たしてそれでいいのでしょうか。
日馬富士の引退は本当に悔しい出来事でした。

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