2017年12月31日日曜日

昨日まで仕事だったので

年末感のかけらもない、いつもの週末。

2017年12月13日水曜日

悲喜こもごも

今日、広島高裁で四国電力伊方原発の運転差し止め命令が出された。(来年9月末が期限)
久しぶりに司法の痛快な判断を見た。

一方で、沖縄県宜野湾市の普天間第二小学校グラウンドに米軍普天間飛行場所属のCH53E大型輸送ヘリの窓が落下した。近く(10m)には児童がいた。たまたま、当たらなかっただけで、重大で深刻なインシデント(事件)。
しかし、米軍はそ知らぬ顔で(日本人の憤懣をあざ笑うかのように)ヘリの飛行を止めていない。
誠実さのかけらも無い米軍と、その米軍を支持する日本人には、反吐が出る。

2017年12月10日日曜日

竜門ダムの紅葉

最近、更新が滞りがちですが、息はしています(苦笑
12月の更新のお知らせです。恒例のTOP画像変えています。

先週末、竜門ダムへドライブ散歩の時に撮った紅葉です。
スマホを中古Galaxy Jから新品P10 Plusに新しく買い換えました。
この画像も新しいスマホで撮影したものです。色がややビビッドになるようです。
「やや」と言うところを強調しておきます(苦笑

2017年10月6日金曜日

日本の棚田

10月になりました。恒例のTOP画像更新しています。
本文でも取り上げましたが、番所の風景です。

棚田は日本の原風景とよく言われますが、アジアでは良く見られる風景です。
決して日本だけのものではありません。
また、今では広大な平野が有名な穀倉地帯になっていますが、灌漑設備が整っているからこその穀倉地帯です。
近代以前の昔、江戸時代やそれよりも前は広大な平野部はただの平原や荒野としてしか存在できず、お米を作れるのはこういった山間部やそれにはさまれる平野部、水の手が取れる丘陵地でした。
江戸時代以降用水路が整備されてようやく平野部にも水が行き渡るようになったのです。
用水路の無い時代、棚田は最も効率の良い耕作地開発の手法だったのです。

こうして米の産地は山から平野へと広がって行きました。
戦国時代の風景を想像し展開を考える上で、今の風景を元にしているとしっくり来ないことがあります。
食料供給源は平野部よりも山間部のウェイトが高い、と気がついたのはごく最近のことです。

2017年9月28日木曜日

番所の彼岸花

やや時間差がついてしまいましたが、先週山鹿の番所に彼岸花を観に行きました。
3連休の最終日。
連休の始めは颱風の接近があったので、連休全てが雨になるかとあきらめていたのですが、二日目の午後から回復し始め、最終日は晴れました。


(2017.9.18 番所の彼岸花1 by α6000 SEL24F18Z  F 7.1 ISO100 1/100)



(2017.9.18 番所の彼岸花2 by α6000 SEL24F18Z  F 9.0 ISO100 1/500)



(2017.9.18 番所の彼岸花3 by α6000 SEL24F18Z  F 9.0 ISO100 1/100)

時期的に言えばすこし早かったかも? 
この花を見るともう完全に秋になったことを実感します。




この日、いっちゃんが30000km行きました。きりのいいところで路肩に止めて写しました。
そしてこの翌日からまた中国出張だったのです。(既に帰国しています。)








2017年9月2日土曜日

鞠智城近くの赤米

9月になりました。恒例のTOP画像更新しています。
鞠智城近くの赤米です。見ごろは今日明日くらいらしいです。
この写真は今日撮ったのですが、空の透明度がすごく良くて、かえって夕焼けがあまり綺麗に赤く染まっていませんでした。
赤米の田んぼは初めて見ましたが、なかなか綺麗なものですね。

先月、ちょっとしたアクシデントがあり、未だに凹んでいます。
早いところ落ち着きたいのですが、なかなかきっかけがつかめませんねえ。難しいものです。

2017年8月22日火曜日

2017年8月19日土曜日

外灘 その3

上海博物館に行き損ねた日に、外灘の夜景を見ようと訪れました。

上海博物館に着いたのが夕方5時。閉館時間も夕方5時!(声にならない叫び)
20分ほどヘコんでました。
そしてもと来た道を戻り、地下鉄2号線の人民広場駅から隣の南京東路駅へ。
(隣の駅。暑いからもう歩かない!)

その2で伝えた外灘に着いたのは夕方6時くらいです。すごい人ゴミです。
中国人のおのぼりさんが超絶多数。
夏休みなんでしょうね。

そして外灘の黄浦江が見える場所で腰を下ろして待つこと1時間弱。



街に灯がともり始めました。




対岸の浦西地区も。この通り。
夜の7時になると一斉にライトアップが始まります。




トワイライトな夕空をバックに撮影できるのはこの時期ならではなんでしょうね。
カメラ持って来ればよかった。(いや、仕事だから!)
上海の写真は全てスマホ(Galaxy J)です。




左は旧香港上海銀行ビルで、右の時計台は旧江海関の建物。




左から、
旧ユニオン・アシュランス・カンパニーズビル
旧日清汽船上海支店ビル
旧中国通商銀行ビル




通り(中山東一路)沿いを歩いていたら、こんなのがありました。 ・・・何で?
よくわかりませんが、中国人観光客は記念撮影してました。
と言いつつ自分も。



旧ノースチャイナ・デイリー・ニューズビル。
その2では昼間の姿も撮影しています。




旧チャータード銀行。
こちらも、その2では昼間の姿も撮影しています。
昼間の印象とは若干違いますねえ。
他の多くのビルが暖色系のライトアップなのに、このビルは寒色系のライトアップだったからかもしれません。
でも、こういうのもありかも。合ってますね。



旧パレスホテル。
こちらも、その2では昼間の姿も撮影しています。
建物の色合いやデザインが、他の建物に比べるとシャレオツな感じで、この印象はライトアップしても、変わりませんね。外灘にある他のビルが銀行とか税関とかオフィス系ビルが多く、重厚な建物の印象なので、このデザインは印象深く、目立ちます。




旧サッスーンハウス。現在は和平飯店(ホテル)。



南京東路からの眺め。
なかなか上海らしい眺めです。そして、人の数も。さすがザ・中国。
(まぁ、日本でも花火にでも行けばこんな感じですけど)


一応これで今回の上海出張篇は終わり。




2017年8月18日金曜日

バルセロナの悲劇と怒り

バルセロナのランブラス通りで、車(白のバン)が歩行者を次々にはねて大勢が死傷する痛ましい事件がありました。
テロ組織ISISの系列が犯行声明を出したと言うが、正確なところはまだわかっていません。

3年前、ランブラス通りを訪れました。というか、バルセロナにしばし滞在してました。
自分にとっては初めてのヨーロッパでした。


(2014.7.5 カタルーニャ広場 by NEX-5N SEL24F18Z  F 5.6 ISO100 1/200)

世界の観光客が空港からまず最初に訪れる場所がここカタルーニャ広場。
ランブラス通りは、この広場から海岸へ向かって伸びる歩行者天国の観光通り。




(2014.7.5 地下鉄カタルーニャ広場駅周辺 by NEX-5N SEL24F18Z  F 5.6 ISO100 1/100)



(2014.7.5 メトロ(バルセロナ地下鉄) by NEX5N SEL24F18Z  F 5.6 ISO100 1/200)

自分はこのカタルーニャ広場から地下鉄で二駅の、Gracia駅近くのホテルに滞在していました。

今回の事件、犯行の目的は分かりませんが、結果的には愉快犯と同じとしか思えません。
仮に何かの主義主張があったとしても、何のゆかりも無い観光客やバルセロナ市民に、何故、危害を与えなければならないのか。

このところヨーロッパで相次ぐこういったテロ事件には激しい憤怒を感じます。
亡くなられた方、怪我をされた方やそのご家族があまりにかわいそうです。

バルセロナには長いこといましたが、本当に素敵な街です。陽の光がとても似合う場所。
早く、今回の悲劇を乗り越えて欲しいです。







2017年8月16日水曜日

外灘 その2

前回とは別の日、もっといえば、上海博物館に行き損ねた日に外灘の夜景を見ようと考えて、再び外灘を訪れました。



南京東路から東方明珠電視塔を望む。



手前が和平飯店南楼(旧パレスホテル)、隣が旧チャータード銀行




和平飯店南楼(旧パレスホテル)のファサード。
上に「スウォッチアート ピースホテル」とありますが、1階部分にスイスのスウォッチ・グループ傘下のオメガ、ブレゲ、ブランパン、スウォッチの4つのブランドがそれぞれフラッグショップを営業しているため。2階から上がホテル。
アートの意味は、ホテルが世界中からアーティストを招待し半年間創作活動を行なってもらって、その中の優秀な作品を滞在の代価として受け取るという取り組みをおこなっているため。
他の旧銀行系の建物に比べると、元々がホテルだったためか、外灘の古い建物群のなかでも数少ない外観がオサレな建物です。



和平飯店南楼の隣が旧チャータード銀行。
2階と3階をぶち抜いてギリシャ風の柱が2本あるのが特徴ですね。最初に建てられた時は3階までで、その後の改築で上の4階5階部分が作られたそうです。




旧チャータード銀行の横は旧ノースチャイナ・デイリー・ニューズビル。現在はAIA(アメリカ友邦保険)が入っています。さらに隣には、旧台湾銀行ビル(現在、招商銀行が入っている)があります。



2017年8月15日火曜日

外灘 その1



上海の歴史を語る上では外灘(ワイタン、もしくはバンド)を外すことは出来ないでしょう。
外灘は、上海の旧市街の北にあたり、英国租界として始まりその後に英、米の共同租界となります。
そして20世紀前半にかけて、東アジアにおける金融の中心地に成長するとともに建築ラッシュが始まります。
この時に建てられた西洋風の建物は英、仏、米、独、日、蘭、白の銀行、英、露の領事館、新聞社、上海クラブやフリーメーソンのクラブなどとして使われました。
現在では、これらの建物が上海観光の大きな見所になっています。
恐らく、現在に至るまでに社会主義と植民地時代の遺物の間には相当な相克があったはずです。
中国には「文革」という忌まわしい悲劇の時代がありましたが、よくも取り壊されず残せたものだと思います。
 
 


南京東路を外灘に向かう方向に撮影。
左が和平飯店北楼(旧サッスーンハウス)、中央が黄浦江の向こうにある東方明珠電視塔、右が和平飯店南楼(旧パレスホテル)



浦東の陸家嘴地区。
手前の河が、黄浦江。右から左に流れ、この先にある長江に合流し東シナ海につながっています。




ふりかえると、時計台があります。旧江海関の建物。現在、上海海関(税関)の事務所があります。
15分毎に鐘が鳴ってました。


 
 
南京路を戻り、歩行者天国になっている通りをぶらつきました。
 
 

2017年8月13日日曜日

中国旨い飯ツアー その3

さて、日は違いますが、会社の同僚(日本人)と、3人で小籠包を食べに行くことになりました。
んで、行ったのが、先日ブログに挙げていた人民広場駅近くの黄河路にある「佳家湯包」(ジャージャータンパオ)です。
見た目は普通の小さなローカルなお店で、テーブルは8個くらいしかなかったかな。
19時くらいに行ったんですが、満席でした。
ただ、観光客もよく来るみたいで、入り口で注文するときに、中国語のメニューの裏には日本語のメニューがありました。



カニと豚の小籠包、12個/一両で30元(580円くらい)安い!!



またもやカニと豚の小籠包。最初、一人一両&ビール(青島)を頼んだけど、旨いし、あっという間に平らげたので、追加しました。




お店はこんな感じ。入ってすぐ左が注文&レジ。清算は出るとき。入って右側が客席。
左側、、レジの先には小籠包を作る厨房があります。
一つ一つ皮を伸ばして、具を入れて、手作りしてました。
中国人の同僚に聞いたら、最近中国人の間でも人気があるお店らしいです。




さて、こちらは上海ではよく見かける地下鉄駅の地上出入り口付近によく見かける早餐のお店。
軽自動車一台分くらいの広さしかない露店です。
自分ひとりではさすがに注文できんので、中国人の同僚に蛋餅を頼んでもらいました。
蛋餅は台湾でも食べましたが、まあいうなれば「卵焼き包み」
具は何でもあるんでしょうが、今回自分が頼んだのは、ベーコンとキャベツ。



これで、1個7元。旨いんだけど、こればっかりだと太るんだよね。。。

2017年8月12日土曜日

暑い日が続きます

中国ネタが続いていますが、既に帰国しています。
んでもって、日本は暑い。いや、熊本が暑い。
今日も36℃くらいあったんじゃないかな。
車を飛ばして、熊本港で飯を、と思ったら駐車場が激混み。
公園でなんか「~でゴザル」なんて声がしてたので、何かのイベントがあった模様。
港はあきらめて、リンガーで冷やしちゃんぽん食べました。





尼でブルートゥースイヤホンを買いました。
7~8年?位前にSonyのやつ(MW600)を買って愛用していたんですが、服を挟んで留める部分が壊れ、さすがに5年以上も経っているのでそろそろ買い替えようか、と言うことにしたんです。
MW600の基本機能自体は全く問題ありません。ラジオも聞ける、電話も出来ると、なかなかな性能なので、これの後継を探すとなるとなかなか困難でした。
なので、すっげー安い、上の製品に落ち着きました。ですが、使い勝手はまあまあです。
電池の持ちが、4~5時間くらい。MW600は未だに8時間以上は使えますが、大きさがぜんぜん違うので致し方ないでしょう。
出張時の友として、しばらく使ってみます。



2017年8月11日金曜日

米朝関係緊迫化?

アメリカのトランプが8日、北朝鮮が軍事的挑発を続けた場合は「砲火と激烈な怒りに直面する」と強い調子で牽制。
これに対し北朝鮮は、グアム島周辺の水域に中長距離弾道ミサイル4発を同時発射する計画を今月中旬までにまとめると発表。
10日、日本での為替市場でドルが下落しましたが、その原因にこの北朝鮮リスクが取りざたされていました。
10日のNY市場で株式相場が大幅に下落。これに対する解説でも、世界のメディアは北朝鮮を巡る地政学リスクを挙げていました。
週末、下落したのはアメリカの株式だけでなく、世界の主要な株式相場は全て下落しています。
北朝鮮のリスクが世界中でこれほど注目を集めたことは、かつて無かったように思います。
雰囲気的に、すごく気持ち悪い感じです。
アメリカも北朝鮮も、指導者が決してお利口さんとは言えない人たちなので、たちが悪いです。
日本の指導者も、これに輪をかけて、だめだめ坊ちゃん、だからな。。。

2017年8月10日木曜日

上海博物館に行ったはず?

 
 田子坊をグルグル巡った後は、どこか適当に冷房の効いたカフェに入ってお茶でもしたかったのですが、上海博物館という、最終ゴールがあるので、気もそぞろに田子坊を後にしました。
 
 
 


9号線の打浦橋から陸家浜路駅で8号線に乗り換え、人民広場駅で降ります。



人民公園があります。




人民公園地下(人民広場駅からつながっている)には上海の昔の風景を再現した通路があります。
なんか、周りとの調和とか考えてないカンジ。全く脈絡がなく、急に現れます。
ほんの100mくらいだけですが。




そんなこんなで、上海博物館到着。
・・・と思ったら大勢の人々が建物から流れ出ています。ヲイヲイ、どうした?

なんのことはない、閉店ガラガラ。(チ~ン
なんと、閉館時間は夕方17時(16:00が入場最終時間)
ちゃんと調べておけよ、俺。。。。Orz

ちなみに入場料は、大変お得で親切価格になっております。
それは、なんと、まさかの。。。


無料!




さすが、中国。やるね。
残念さが胸にしみて泣けてくるよ(大泣き




2017年8月9日水曜日

迷子の田子坊 その2

中国の会社の同僚(中国人)にお奨めされた「田子坊(ディエンツーファン)」に行きました。
最終的には上海博物館に行くつもり。
ホテルを出る前に激しい夕立があったので、出発時刻はお昼過ぎ。
 
 


田子坊はオサレな雑貨屋さんやカフェ、美術店、アトリエ?が集まっている場所で、昔ながらの路地をそのまま生かした、ちょっと古い、ちょっとノスタルジックな雰囲気のある街。




街中に貼ってあった田子坊全図。



日本風にいえば、昭和40年代?




中国伝統の四合院の区画を利用したカフェがありました。




この四合院付近が田子坊の発祥らしい。



さきほどの写真の向かい側から写したもの。






見上げるといっぱいのクマ~
テディベアのお店でした。





こういう雰囲気はとっても大好きです。
ただねえ。夕立が降った後だからか、暑いし、湿気がすごくて、なかなか落ち着けなかったです。
もう少し、涼しくなったらゆっくり見て回りたいですね。
あと、ちゃんとしたカメラで撮影したいです。
・・・という撮影ゴコロをくすぐる雰囲気いっぱいの街でした。


















2017年8月8日火曜日

迷子の田子坊 その1




 
中国の会社の同僚(中国人)にお奨めされたので、田子坊(ディエンツーファン)に向かうことにしました。
最終的には上海博物館に行くつもり。
 
 

地下鉄9号線の打浦橋(ダープーチャオ)で降ります。
・・・というところまでは、ネットで調べた。
そう、そこまではね。



駅の改札口はそのままモールの入り口になっていました。
入ってすぐ目に付く日本語?
これって、「恋初の暖茶」って読むんか?「初恋」じゃないんか?
暖かいも、「あったかい」であって、決して「あたたかい」と読んではならぬ。



駅のゲートを出ると、こんな風景。この部分は、まあまあ普通。




しかし、こんなんがあったり。




こんなんがある。この看板の下が駅。
でも「究極のとんかつ」と言うだけあって、写真のとんかつは旨そうである。



モールを上がって地上に出ると、モールの建物に囲まれたところに出るので、全く方向が分からないのです。
田子坊、の案内板は全く見当たらないのでした。
なので、モールの建物を出てぐるぐる迷ってしまいました。
ようやく見つけた案内板が、上のこれ。



ようやく見つけたよ、ママン。 おいら、えらいよね、ママン。
「おかえり、坊や」・・・って、田子坊だけに?


この写真の下のほうは、「ものすごい」人ごみなのです。
しかし、写真に写らなければ、どおってことはないです。
果てしない遠回りをした挙句、汗をかきかき禁断の?田子坊に入場。(もちろん、入るのは無料)