2016年9月30日金曜日

それからの三国志 内田重久

(2015.2.10~4.5 読了)


三国志で描かれるのはたいてい孔明の死までです。
最終的なクライマックスを孔明の死という主人公の悲痛な死で迎え、
頼りない主君劉禅と、孔明と比べれば質も下がり、数も多くない人材しか残っていない蜀の前途を、絶望と憂いの中で物語は終わります。
読者はただ、三国の結末を簡潔に述べた文章でしか知ることができませんでした。


三国は、晋一国となった。
(吉川英治 三国志 より)


その後の世界がどのように移ろい、あれほど人材に恵まれ優秀な君主が続いた曹一族の魏すらも残らず、三国のどの国でもない晋が統一を果たしたのか。
興味がない人はいなかったと思いますが、意外とそれを扱った小説を見たことがありませんでした。
今回読んだ本はその欲求を満たし、なおかつ文章にけれん味がなく素直に読める小説でした。
特にその時代の文化などを細かく調査し、著者の分析を交えて綴られています。この随筆風の説明や描写が、その時代の状景に彩を加えて浮かび上がってきます。
その調査内容も深すぎず浅すぎず、程よいバランスでちりばめられている。
これと似たような感じで、司馬遼太郎氏も程よく「余談だが、・・・」と入れてきます。
ま、司馬さんの場合、余談がひとつの短編くらいのボリュームになることもありますが。
この本の主人公が誰かと言えば私は姜維だとおもうのですが、本作の山場は蜀滅亡のくだりでしょう。
蜀を滅亡させる2人の名将、鍾会と鄧艾の相克と、鄧艾が秦嶺を超え四川盆地にいたるまでの経緯、そして蜀の降伏。
実はその滅亡間際では主人公姜維は剣閣に篭り、大軍を率いる鍾会と持久戦の構えをとっており活躍する場はほとんどありません。
鄧艾に虚を衝かれ、先に成都が落とされ劉禅が降伏したため、彼もやむなく眼前の鍾会に降伏します。
むしろ、蜀滅亡後に鍾会をたぶらかして蜀漢再興を狙いあれこれ手を尽くすのですが、、、、。
なかなかドラマチックで、見ごたえのある部分です。
驚いたことにこの本の著者は本職の小説家ではありません。メーカー勤務のサラリーマンだったそうです。
この本の前身となる本を、ただひたすら三国志が好きだった、というだけでサラリーマン時代に自費出版しています。
わたしはなかなか傑作だとおもいました。




2016年9月25日日曜日

レッド



この週末、映画「レッドタートル ある島の物語」を見に行きました。
すごく良かったです。映画の最後で、いろんな思いがあふれてしまって涙がこぼれました。
感想は後日。

以前行った、「山鹿の番所」に彼岸花を見に行きました。


行きすがらのみちみちにも、彼岸花は咲いており、秋を感じさせる風景になってました。
「レッド」タートルとあわせて、「赤」、がキーワードとなった週末でした。

颱風「鮎魚」(メーギー:17号)が近づいてます。
でかいです。衛星写真で見ると台湾がすっぽり覆われて、一部の雲が九州までかかる大きさです。(25日21時30分の映像)


また台湾を襲いそうです。前の颱風もかなり激しかったのに、またかよ、って思います。
十分に準備と警戒をして欲しいです。
ちなみに、台湾はこういう場合、国があらかじめ全土に警戒連絡を行って「休日」指定をします。その連絡があると、台湾全体がお休みになります。

鮎魚、と書いてメーギーですが、韓国由来の名前です。
中国読みをすれば「鮎魚」ですが、日本の鮎とは違います。
なんと「ナマズ」のことなんです。意外ですねえ。

ここ数日、熊本含めて地震の発生が激減しています。
このまま無くなってしまえばいいのですが。


















2016年9月23日金曜日

梅酒に

この夏、自分はちょっとした梅酒ブームでした。
この梅酒に牛乳混ぜると意外に旨い!って最近分かりました。
んで、ググったら、かなり一般的だったことにショック Σ(゚д゚;)

・・・で、今凹んでます。。。 


2016年9月22日木曜日

愚弄されてるんだけどね

昨日、こんなニュースがありました。

<日銀>長期金利に目標導入 マイナス金利副作用配慮
◇金融政策決定会合で賛成多数
 日銀は21日の金融政策決定会合で、国債の金利を一定水準にコントロールする「金利ターゲット(目標)」を新たに導入することを賛成多数で決めた。

と、

<もんじゅ>高速炉開発へ新会議 官民が連携 関係閣僚会議
◇新方針が決まり次第、もんじゅ廃炉を正式決定へ
 政府は21日、首相官邸で原子力関係閣僚会議を開き、日本原子力研究開発機構(JAEA)が運営する高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)に代わる新たな高速炉の開発方針を年内に策定することを決めた。

です。

この二つは現政権(もしくは官僚)の「無能力」を示す象徴と言っていいでしょう。
ここまでいくと犯罪レベルですね。

今の方針がうまく行かないなら、振り返って根本的に戦略を変える必要があると思うのですが、現在の失敗の上に新たな目標を立てることで、失敗をうやむやにしています。
まるで、これ。



っていうかさー、いい加減みんな気がつくだろうけどさ? おめでたいよね。
(ちなみに、走らされてるのは言わずもがな、日本人ですよ。)




2016年9月21日水曜日

国東半島を巡る旅(2016夏) その5

昨年夏、戦跡および磨崖仏めぐりに国東へ行きました。
今年、「ふっこう割」という便利なものがありましてね、また国東半島に行ってきました。

杵築城址を後にして、街中にきました。
珍しい町割と武家屋敷が残っているらしいのです。



(2016.7.31 飴屋の坂 by α6000 E 16-50mm 16mm F 11 ISO100 1/160)
町なかにいくつか無料の観光駐車場があります。
そのうちの一つ、飴屋の坂の隣にある駐車場に車を停めました。



(2016.7.31 谷町界隈 by α6000 E 16-50mm 16mm F 11 ISO100 1/250)
街中はわりと閑散としていますが、静かな感じで自分は好きです。
あんまり人がわらわらいると車を停める気が失せるんですよねえ。。。



(2016.7.31 酢屋の坂 by α6000 E 16-50mm 16mm F 10 ISO100 1/100)
さきほどの飴屋の坂を上る台地が南台、こちらの酢屋の坂を上る台地が北台と言います。
杵築の町割りは、この北台、南台の台地上に武家屋敷が並び、台地にはさまれた谷あいに町人の住居が置かれています。
杵築は坂の町といっていいです。



(2016.7.31 酢屋の坂から塩屋の坂 by α6000 E 16-50mm 16mm F 10 ISO100 1/100)
酢屋の坂を上がって北台上から南台を眺めたところです。左手は武家屋敷の大原邸のし漆喰の壁です。
大原家は杵築の能見松平家で一時は家老職を務めた家だそうです。



(2016.7.31 杵築観光MAP by α6000 E 16-50mm 28mm F 7.1 ISO100 1/250)



(2016.7.31 北台武家屋敷 by α6000 E 16-50mm 16mm F 11 ISO100 1/125)
左手は大原邸の長屋門。上級の武家屋敷がそのまま残っている感じで、この界隈は非常に良い雰囲気です。



(2016.7.31 能見邸 by α6000 E 16-50mm 16mm F 8.0 ISO100 1/100)
大原邸の隣は能見邸。
主家が能見松平家、ということで想像がつきますが、能見家は御一門の家柄だそうです。



(2016.7.31 能見邸内Cafe台の茶屋でかき氷 by α6000 E 16-50mm 16mm F 4.0 ISO200 1/60)
大原邸は有料ですが、能見邸は無料で中に入れます。
また、屋敷を利用した「台の茶屋」というCafeがあります。暑かったのでミカンテイストのカキ氷で庭を見ながら一息。



(2016.7.31 塩屋の坂遠景 by α6000 E 16-50mm 50mm F 9.0 ISO100 1/125)
もと来た道を戻って今一度南台を眺めたところ。
赤い日傘がポイントです。


(2016.7.31 酢屋の坂 by α6000 E 16-50mm 41mm F 9.0 ISO100 1/125)
武家屋敷を観光ポイントにしている杵築市。
浴衣に着替えられるサービスがあるそうです。
外国人が利用している姿を良く見かけました。
石畳を見ているだけでは暑苦しいですが、なかなか風景に合います。
江戸時代をカラフルに再現すれば、こういう風景が真を突いているんじゃないかと思います。背景の車は余計ですが(苦笑


(2016.7.31 塩屋の坂から酢屋の坂 by α6000 E 16-50mm 16mm F 11 ISO100 1/125)
塩屋の坂を上って南台に来ました。うねうねしています。
武家屋敷を丁寧に保存し観光資源にしている杵築市の取り組みは素晴らしいです。
空港から近いので、外国人にとってはきっとアクセスしやすいと思うのです。
大分出身ですが、大分の武家屋敷と言って有名なところがあるのかさえ思い起こせません。佐伯は養賢寺界隈に名残がありますが、いまいち。
中津も武家屋敷はそれほどでもなかった。
行ったことはないが臼杵や竹田にはあるのだろうか。
「大分県、武家屋敷」でググると自分のPCの場合は「杵築」が筆頭に上がります。
やはり、大分有数の武家屋敷群なのでしょう。
なかなかに見ごたえがあり、非常に良い雰囲気でした。

お昼ごろに杵築を出て熊本に帰りました。
二日目のルートはこのようになります。(↓)




熊本市内にたどり着いたのが午後2時過ぎ。
外気温計、37.5℃って、暑ッ!

当初の見込みどおり、このドライブ中は給油することなく終えました。
エアコン付けても長距離運転ならワンタンク、700km行けるのはドライブ好きな身にとっては財布にやさしくありがたいです。途中渋滞が全くなかったのも高燃費を出せた要因です。

なかなか、国東は見所いっぱいでした。
別府をベースにすれば、大分観光の大きなポイントになると思いますね。
次に行くときは季節を変えて行きたいですな。








2016年9月20日火曜日

颱風「馬勒卡」(マラカス:16号)2016 その2

夜中遅くまで雨が降っていたようですが、明け方には既にやんでいました。
熊本市のほうは風も雨もたいしたことなかったように思います。(少なくとも市北部では)

昨日(9/19)のお昼ごろのひまわり画像を見るとまだ目がはっきりしていました。


昨日の夕方のレーダー画像を見ても上陸の直前まで目が残っていたようです。


今日(9/20)の夕方のひまわりを見ると、颱風が前線の雲ごと西に行ってしまった観があります。
ですが、熊本は今日一日、ずっと曇りでした。
台風一過の晴天にはなりませんでした。
おまけにかなり涼しかったです。颱風過ぎた後にしては珍しいですが、その代わりに進出してきたのは南の風ではなく大陸の涼しい空気。秋の空気です。


今夕方は、颱風の中心は愛知県静岡県あたりですが、雨雲の中心は颱風の進行方向側に密集。元からあった前線の雲と合わさったようになっています。
このため、関東甲信越方面が大雨。夕方のラッシュ時に大雨直撃です。


さて、今週末熊本は晴れそうだと、予報が出ています。期待しましょう。




















2016年9月18日日曜日

今年のNHKの大河は期待はずれだったらしい。


真田家の大河ドラマ、好調らしいですね。自分は視てませんが。
ただ、少し気になる記事があったのです。
最近、犬伏での家族会議の模様がドラマで放映されていたらしいのです。
真田家を扱う上ではこの会議は超重要ですからね。数少ない重要な山場の一つと言っていいでしょう。
その後にこれまた山場の第二次上田合戦に続きます。
これはできれば前編後編の二話くらいやったほうがいいでしょうね。(第一次上田合戦も二話くらいやっていい。戦闘準備段階でもう一話追加しても良い。)

んで、関が原。
ま、これは真田家には直接絡まないんで、結果だけでいいでしょう。

・・・。

・・・と誰もが思ったはず。

実際、テレビでもそういう展開だったらしい。それが、なんと「衝撃的」とか「大きな反響」とか、「超高速関ヶ原」「関ヶ原を1分で終わらせた」「大河史に残るぶっ斬り」「何この斬新すぎる大河ドラマは!」とかとか。

いやあのね。
どう考えても真田家にとっての関が原なんて、そんなものでしょう。
加藤清正とか、黒田如水とか、伊達政宗あたりが主人公でも関が原なんて秒殺でいいでしょう。
むしろ、上田合戦が1話で終わったほうに突っ込まんかい。
なんかよく知らんけど、小田原攻めもかなりの話数を裂いたらしく。そっちも突っ込みどころ満載でしょーに。(北条攻めに関して真田家はきっかけに使われたに過ぎないので。)
その流れで行けば、「関が原」もお金かけて(エキストラたくさんいるから金かかる)やるべきでしょう。なんせ真田信繁の岳父が壮絶な「男の死に様」って奴を見せますからね。後の信繁の生き様を語る上で、絶好の伏線になりえますから。

それをしなかったのって、お金関係じゃないの?
真田丸って、聞けば聞くほど視る気が失せます。。。。


2016年9月17日土曜日

颱風「馬勒卡」(マラカス:16号)2016 その1

今日の日中は久しぶりに太陽と青空を見た気がしました。
洗濯がはかどる。

しかし、晴れ間もつかの間。
夜になるとまとまった雨が降り出して、さっきは雷も鳴っていました。
また秋雨前線か。


秋雨前線君はマスター颱風から離れてはいますが、あきらかに遠隔操作を受けているに違いない、というのがよく分かるひまわり画像です。



この結構大きなマスター颱風は、現在南西諸島の北方沖合いを進んでいます。
アジア名はその名も「マラカス」
フィリピン由来で、ずばり、「強い」という意味だそうです。タガログ語の「malakas]
この逆はマヒーナ(mahina=弱い)

少し前までの予報では、この週末~3連休中に九州に来そうでした。
が、颱風の速度が思った以上にゆっくりで、九州到着がずれ込んでおります。
週明け火曜日の夜に上陸しそう、というのが現在の予報です。
刻々とマスター颱風の動きに変化があり、マスターのスケジュール予報が変わります。天気予報は日々チェックしたほうが良いです。

72時間の予報円ですが、なかなかでかい。






2016年9月16日金曜日

国東半島を巡る旅(2016夏) その4

昨年夏、戦跡および磨崖仏めぐりに国東へ行きました。
今年、「ふっこう割」という便利なものがありましてね、また国東半島に行ってきました。

ふっこう割を使って宿泊したのは香々地の「梅乃屋」さん。
宿泊客は少なかったようです。


(2016.7.31 梅乃屋朝食の間 by α6000 E 16-50mm 16mm F 4.0 ISO800 1/160)
朝ごはんは広い座敷の隅っこに用意されていました。


(2016.7.31 梅乃屋朝食 by α6000 E 16-50mm 16mm F 4.0 ISO1000 1/160)
朝ごはんのメニューとしては標準的です。
アサリ汁のボリュームに驚きましたが、まあまあおいしかったです。
ただ残念なのは、味付け海苔が■かったようです。●を×いてました。
あんまりお客さんが来ないのかなあ。。。。
それ以外はまあまあです。


まったりした朝食を終え、荷造りをして清算を済ませて、二日目の目的地に向かってスタートです。
オドメーターが12340kmという並びになってました。
ちなみに昨日朝のスタート時は12102kmでしたので、昨日の走行距離は238kmでした。


(2016.7.31 道の駅くにみ by α6000 E 16-50mm 50mm F 11 ISO100 1/160)
国東半島の海岸沿いにぐるっと回っている国道213号を時計回りに走りました。
半島を時計に見立てると、3時のところにあるのが国東市(旧国東町)の中心地。
さらにその先に進むと左手に道の駅くにさきがあったので休憩。


(2016.7.31 道の駅くにみ裏公園にて by α6000 E 16-50mm 16mm F 4.5 ISO100 1/80)
ジュースを買いました。さっぱりした酸味が爽やかです。


(2016.7.31 道の駅くにみ裏公園にて by α6000 E 16-50mm 50mm F 10 ISO100 1/125)
道の駅の駐車場から歩いて2~3分で砂浜に出ました。絶好の海水浴ポイントだと思うのですが、まったく人の気なし。
ジェットの音がして見上げると飛行機が低いところを飛んでいます。
もう少し南に行くと大分空港が近いのです。


(2016.7.31 杵築城址案内板 by α6000 E 16-50mm 16mm F 11 ISO100 1/200)
大分空港を左手に見つつR213を進むと川べりに建つ城が見えてきます。
杵築城址です。
城址、といっても模擬天守です。



(2016.7.31 杵築城址模擬天主 by α6000 E 16-50mm 16mm F 11 ISO100 1/160)
ただ、立地が素晴らしく天然の要害と言っていいでしょう。南側は杵築市街を流れる八坂川が城の下を流れ天然の堀となっており、北も今は埋め立てられているものの高山川が掘になっていたと考えられます。東側は別府湾。

その川に挟まれた西側の陸地沿いに侵攻するしかありませんが、城が小高い台地の上にあるため、攻め口が狭く限られていて、攻めにくく守りやすい地形です。

豊後を大友氏が支配している時は、木付氏の領地でした。
杵築は昔、「木付」だったのです。
豊薩戦役の際、名将新納忠元率いる島津軍の攻撃を受けましたがこれを退けています。当時の城主は、木付鎮直。

それから十四年後、中央では関が原の合戦が行われていた頃に大友のバカ息子、義統(吉統)が豊後で再起を図った際に、家臣に命じて木付城を攻撃させますが、守るのは細川家にこの人ありと言われた松井康之。攻め手の将は吉弘統幸。
地の利は守備側にあり、攻め手の人数も100人あまりと寡勢であり、大友側はあえなく敗北。
(石垣原の戦いの前哨戦)



(2016.7.31 浅井長政次男万菊丸着用具足と伝わるもの by α6000 E 16-50mm 16mm F 3.5 ISO2000 1/160)
模擬天守の中は展示室になっています。
まさか、な展示がありました。(天守内は写真撮影OKです)
上は浅井長政の次男が着用した具足。
長政とお市の次男、万菊丸は長じて細川家の家臣となり木付に移り、その子孫はその後杵築の領主となった松平家に仕えたそうです。その子孫が伝えたものが上の具足、と言うわけ。



(2016.7.31 石田正澄兜 by α6000 E 16-50mm 16mm F 3.5 ISO3200 1/160)
こちらは関が原の英雄、石田治部の兄、正澄着用の兜だそうです。
由来は、長くなるので割愛。
関が原後の佐和山攻めで功のあった宮部家に代々伝わったものだそうです。
具足も兜も、どちらもたまたまではあるでしょうが「近江」関連というのはなかなか興味深いです。


(2016.7.31 杵築城模擬天主西側眺望 by α6000 E 16-50mm 16mm F 11 ISO100 1/200)
天守の最上階の展望台から陸地側(西側)を眺めたもの。川は八坂川。



(2016.7.31 杵築城模擬天主東側眺望 by α6000 E 16-50mm 16mm F 11 ISO100 1/200)
天守の最上階の展望台から陸地側(東側)を眺めたもの。八坂川河口の向こうは別府湾。


(2016.7.31 守江湾干潟 by α6000 E 16-50mm 50mm F 11 ISO100 1/400)
河口の干潟が美しいです。
カブトガニやアオギスといった希少種が生息する美しい干潟であると、ウィキ先生が言ってました。

さっき、別府湾と書いたのですが、正確には守江湾と言うそうです。
海の向こうに見えるのは恐らく佐賀関半島とその先にある高島ではないかと思われます。




2016年9月15日木曜日

国東半島を巡る旅(2016夏) その3

昨年の夏に、戦跡および磨崖仏めぐりで国東に行きました。
今年、「ふっこう割」という便利なものがありましてね、また国東半島に行ってきました。

岩戸寺を後にして、次に向かったのが文殊仙寺


(2016.7.30 文殊仙寺入り口 by α6000 E 16-50mm 16mm F 4.0 ISO500 1/160)
ここが入り口かな。と思ったんですが、勝手口みたいなところだったようです。
ここにも仁王像があるはずなのですが、ココから入ったため見ないままになってしまいました。(残念)


(2016.7.30 文殊仙寺鐘楼門 by α6000 E 16-50mm 22mm F 7.1 ISO100 1/100)
先ほどの勝手口から進んでいくと鐘楼門が見えてきます。



(2016.7.30 文殊仙寺大ケヤキ by α6000 E 16-50mm 16mm F 4.0 ISO640 1/160)
門をくぐって左手下をを見ると大きなケヤキ



(2016.7.30 文殊仙寺宝篋印塔から周防灘 by α6000 E 16-50mm 16mm F 11 ISO100 1/200)
先には日本一高い宝篋印塔が建っており、その向こうには姫島や周防灘が見えます。



(2016.7.30 文殊仙寺地蔵群 by α6000 E 16-50mm 23mm F 4.0 ISO1600 1/160)
鐘楼門に戻り元の道を進むと右手に建物があり、さらに進むと参道に出ます。
右に曲がって参道を登っていくと脇に地蔵や石塔があります。
さらに上に上ると、大きな石の崖に這いつくように奥の院があり、12年に一度、ご本尊の文殊菩薩像が公開されるそうです。
奥の院左の岩の洞穴には、役の行者(役小角)像がありました。
文殊仙寺を創建したのは役小角と伝えられています。なんと、大化四年(648年)だそうです。
ちなみに、日本の元号(平成とか昭和とか)のはじめが「大化」です。
昔は「ムシゴ(645)ろしの大化の改新」なんて言って覚えたんですけどね。(大化元年が645年。ムシゴろし、は中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿・蝦夷親子を暗殺したことにちなむ。)
21世紀の現在では、大化の改新は646年、になっています。

文殊仙寺を出て向かったのは「安国寺集落遺跡」
ここまでは国東の六郷満山文化(奈良・平安~鎌倉・室町)をたどっていましたが、一気に時代を駆け上り、弥生の遺跡へゴー!
文殊仙寺から県道を海に向かって下り、途中でオレンジロードなる国東半島をぐるっと回っている農道を南下。
しばらく道なりにのんびり進むと田園地帯に出ます。
安国寺集落遺跡の看板が見えてくるので、途中で左折。
すると比較的大きな公園施設が見えてきます。



(2016.7.30 安国寺集落遺跡竪穴住居跡(復元) by α6000 E 16-50mm 16mm F 11 ISO100 1/160)
弥生のムラ安国寺集落遺跡公園内にある、復元された竪穴式住居群。
九州には弥生の遺跡が数多くあります。最も有名で大きなものは佐賀の吉野ヶ里遺跡でしょう。
弥生時代、同じ九州でも文化先進地帯は大陸に近い西北部でした。
稲作が日本で最も早かったのも、この地域です。
現在日本最古の水稲耕作遺跡といえば、佐賀県唐津の菜畑遺跡で、次が福岡の板付遺跡と言われています。

そして、この国東の安国寺集落遺跡でも稲作の跡が見つかり(炭化米)、東九州へのイネの伝播を示す手がかりになっています。


(2016.7.30 竪穴住居内(復元) by α6000 E 16-50mm 16mm F 3.5 ISO3200 1/125)
竪穴式住居内部。方形と円形の住居を二棟づつ復元。
竪穴式住居の床の形状も時代や地域によって差があって興味をそそります。
ちなみに、竪穴式の住居は古くは縄文時代から生まれ、弥生時代で一般的になり、平安時代まで使用され続けます。
鎌倉時代になると全国的にほぼなくなりますが、東北地方は室町時代まで使用され続けた例があるようです。



(2016.7.30 竪穴住居跡(復元)と栗 by α6000 E 16-50mm 16mm F 7.1 ISO100 1/100)
竪穴式住居と栗、って絵になりますな。
なんせ、超巨大な竪穴式住居跡で有名な東北の三内丸山遺跡(縄文時代)では大規模な栗の栽培・管理跡が見つかっています。


(2016.7.30 安国寺集落遺跡高床式住居群(復元) by α6000 E 16-50mm 16mm F 11 ISO100 1/160)
高床式建物群(復元)。

安国寺集落遺跡は、この地が低湿地帯で泥の中に農具などの遺物が埋まっていため保存状態がよかった、という特色があります。



(2016.7.30 梅乃屋夕食 by α6000 E 16-50mm 16mm F 4.0 ISO800 1/60)
遺跡から海のほうに向かい国道213号に出たら北上。香々地の「旅館 梅乃屋」で宿泊。

海鮮魚会席コース付き!1泊夕食・朝食付プランで7560円。ふっこう割4000円を使用したので、宿泊費は3560円+お酒代。

メインは鱧でした。県南では鱧はあまり聞かないですね。豊前付近、周防灘周辺が有名みたい。(訂正:県南でも鱧は取れるらしい。)
味は全体的にまあまあでしたが、大分の魚、という水準でいくと正直な話、合格点ではありませんでした。(自分は魚料理に関してはかなり厳しいほうです。)
宿泊客が自分以外にはいませんでしたが、何か宴会やってましたね。
久しぶりにテレビ見ながら寝おちしました。(自宅にテレビがないので。。。)


2016年9月14日水曜日

国東半島を巡る旅(2016夏) その2

昨年の夏に、戦跡および磨崖仏めぐりで国東に行きました。
今年もふっこう割を使って国東ドライブ行って来ました

腹ごしらえを済ませ、旧千燈寺の次に向かったのが岩戸寺です。
下の地図見ると分かりますが、旧千燈寺の山向こうに岩戸寺があります。



(2016.7.30 3体の石仏 by α6000 E 16-50mm 38mm F 5.6 ISO1250 1/160)
岩戸寺へ向かう道すがらにある石の板に彫られた三体の石仏。
欠けているので、元は三体ではなかったかもしれません。
時の流れは万物の姿を変えていきます。諸行無常。



(2016.7.30 岩戸寺仁王像 by α6000 E 16-50mm 47mm F 7.1 ISO100 1/100)
境内の入り口にある一対の仁王像。銘のある仁王像としてはわが国最古のものとか。
製作が文明十年(1478年)ということは、時代は鎌倉時代。
(もちろん、前回書いた旧千燈寺の、銘がない仁王像のほうが古いと思います)



(2016.7.30 岩戸寺仁王像吽像 by α6000 E 16-50mm 38mm F 5.6 ISO100 1/60)
向かって左の吽形の仁王像。



(2016.7.30 岩戸寺仁王像阿像 by α6000 E 16-50mm 38mm F 8.0 ISO100 1/80)
右側の阿形の仁王像。



(2016.7.30 岩戸寺国宝国東塔 by α6000 E 16-50mm 27mm F 4.5 ISO500 1/160)
岩戸寺には国宝の国東塔(くにさきとう)があります。

先ほどの仁王像を過ぎてさらに参道を進んでいくと木が茂る森の中に入ります。
その先の右手に人が7~8人腕を広げないと囲めないほどの大きな岩があり、高さ2~3メートルほどの岩の上に、高さ3mほどの国東塔が鎮座しています。
下の説明にあるように、国東半島に約150基ある国東塔中最古のものです。銘文に「弘安六年」とあるので1283年。弘安の役直後に建てられたもののようです。



(2016.7.30 岩戸寺国宝国東塔案内 by α6000 E 16-50mm 27mm F 4.5 ISO160 1/60)


(2016.7.30 岩戸寺国宝国東塔銘文 by α6000 E 16-50mm 50mm F 5.6 ISO1000 1/160)


(2016.7.30 岩戸寺国東塔 by α6000 E 16-50mm 32mm F 5.0 ISO400 1/60)
国宝国東塔と参道を挟んで向かいあうように、参道の左側にも二つの国東塔が岩の上にあります。



(2016.7.30 岩戸寺石碑群 by α6000 E 16-50mm 16mm F 4.0 ISO200 1/60)
国東塔の手前にある石版群。梵字とか彫られています。



(2016.7.30 岩戸寺青いもみじ by α6000 E 16-50mm 31mm F 5.0 ISO640 1/60)
夏の日差しがきつかったですが、青葉はどこまでも眼に優しい感じがしました。