2016年5月16日月曜日

瓜生島伝説と地震と天気と未来人

今日は大分で有名な言い伝えを書きました(転載、ともいう)。
日本のアトランティスと言われています。中央構造線にまつわる400年前の大地震の際の事件でした。

後半に通常記事(といっても地震つながり)を載せてますので今日は長いです。
だって書いてる最中に関東で地震あるんだもん。
・・・いや単なる偶然です、ハイ。

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瓜生島(うりゅうじま)の言い伝え

ずっとむかし、今は島ひとつない別府湾には、多くの島々がうかんでいたという。
瓜生島は、それらの島の中でもっとも大きな島であった。
瓜生島には、ずっとむかしから言い伝えられていることがあった。
「こん島に住むもんは、言うことをよう聞いち、なかようせんといかん。なかたがいをするもんがあったら、島じゅうん神さまやら仏さまんばちがあたってしまう。そんばちというんは、こん島が海ん中に沈んでしまうんじゃ。そんときは、えびすさまんお社ん、あん木ぼりんえびすさまん顔がまっかになるちゅうことじゃ。えびすさまん顔がまっかになったときは、こん島が沈んでしまうときぞ。」
この言い伝えは、島の人たちによって、親から子へ、子から孫へと言い伝えられていった。そして島の人たちは、この言い伝えを信じて守ってきた。
おとな同士のはげしいあらそいごとも、
「そげなことをすると、えびすさまん顔があこうなるぞ。こん島が沈んでしもうてもいいんか。」
というひと言でおさまっていた。

島はのどかな日がつづいていた。ところが、そんな島の言い伝えを、
「なあに、今ごろそげなばかなことがあるもんか。そげなことは迷信にきまっちょる。」
と、信じない人もいた。そのひとりに、加藤良斉という男がいた。良斉は、島に住む医者であった。
「なんぼ神さま、仏さまちゅうても、こん島を沈めてしまうなんちゅうことがでくるはずがねえ。こりゃあ迷信にきまっちょる。ほんとうかうそか、わしがためしてみちゃるわい。」
良斉は、島の人たちにこう話してまわった。島の人たちはあわてて、
「良斉さま、なんちゅうことを言いなさるか。お医者さまともあろうあなたさまが、そげなことを言うて、とんでもねえことでございますぞ。」
と止めた。
しかし、ある晩、良斉は、こっそりとえびすさまのお社にしのびこんでいった。
「ふん、これが迷信の主か。こん顔があこうなると、こん島が沈むというんじゃな。ようし、これからためしてみちゃる。沈ませきるなら沈ませてみるがいい。」
良斉は、木ぼりのえびすさまの顔を、べにがらでまっかにぬりつぶしていった。そしてにやにやと笑いながら、何くわぬ顔をして家に帰っていった。

次の朝、島は大さわぎになった。
「たいへんじゃ、たいへんじゃあ。えびすさまん顔がまっかになっちょるぞうっ。」
「おおごとじゃあ、島が沈んでしまうぞうっ。」
「島が沈むぞうっ。」
島じゅう、どこにいっても島が沈む話ばかりであった。気の早い人は荷物をまとめ、あわてて島から出ていった。
ところが、一日たっても島には何もおこらなかった。二日目がくれた。島は少しも沈みはしなかった。
そして次の日、次の日、また次の日・・・。
十日たっても、島には何のかわりもなかった。
島からぬけ出していった人たちは、また島に帰ってきた。
「ほうら、いわんこっちゃねえ。やっぱあ迷信じゃあ。なんでえびすさまん顔があこうなったら、島が沈まなならんのか。あれあれ、あわてもんのじょうがもどってきよる。」
と、良斉はとくいであった。けれども、島の人たちはやはり気がかりでならなかった。
「たいへんなことをしてくれたもんじゃ。おおごとがおこらにゃいいがのう。こんまんますんでくるりゃあいいけんど・・・。」
と、会う人ごとにことばをかわしあった。

慶長元年(一五九六年)の六月ごろ、島がゆれた。島の人たちはふるえあがった。
「やっぱあほんとうじゃ。こん地鳴りは、神さまやら仏さまんいかりん前ぶりじゃあ。」
「島が沈むちゅうのはほんとうじゃ。良斉は、とんでんねえことをしちくれた。」
ふたたび島をぬけ出して、今の南大分の方までにげ出す人が多くなった。
七月に入っても地鳴りはつづいた。一日に三度、四度とゆれるようになった。
けれども、一日じゅうゆれつづけるわけでもないし、住みなれた土地はなかなかはなれられないもので、島にはまだ多くの人たちが残っていた。
良斉は、地鳴りのたびにびくびくしながらも、ゆれがおさまると、
「ふん、何をびくびくしちよる。言い伝えは言い伝えじゃ。迷信にきまっちょる。」
と、ひとり強がっていた。

十二日の昼すぎ、島は大ゆれにゆれた。石がきがこわれた。家がたおれた。大きなマツの木が根っこからたおれた。日ごろしずかな海が大あれにあれだした。
はるか大分の町もゆれていた。そればかりではなかった。別府の町の後ろに雄々とそびえていた木綿山(由布岳)、御宝山(鶴見岳)もあれていた。
大空にさかんに火をふき上げていた。高崎山も同じだ。大きな山くずれをおこし、美しいすがたは消えていた。
島はゆれつづけた。たてに、横にゆれつづけた。
島の人たちは、あわてにあわてた。荷物をまとめることもできないで、あっちに走り、こっちに走ってにげまわった。島はどこも同じであった。でも今はもう船も出せない。
ところが夕方近く、あの大ゆれがうそのようにしずまった。島の人たちは、べったりと腰を落とし、もう口をきく元気さえなかった。
その時である。白い馬が島じゅうを走りまわった。その白い馬には、ひとりの老人がまたがっていた。
「島が沈むぞう。瓜生島は沈んでしまうぞう。はようにげろう。はよう陸ににげろう。」
老人は、白い馬の背から大きな声でさけんでまわった。
島の人たちは思わず立ち上がり、われ先にと船にとび乗った。大分の町をめざすものもあった。日出の町をめざすものもあった。
その間にも、またはげしいゆれがきた。そして海がわれるような音で鳴りはじめた。
潮がぐんぐん引いていった。この後には何がおこるのか。津波しかない。船に乗れなかった人たちは、干上がった海を萩原をめざして走った。
やがて、老人の言ったとおり、前よりもはげしい地鳴りが島じゅうをおそった。大津波が別府湾の中をあばれまわった。
夜が明けたとき、別府湾には島がなかった。瓜生島だけではない。大久光島も小久光島も、どんな小さな島かげもみあたらなかった。
ただ朝の光をうけたどす黒い波が、どこまでもどこまでも続いていた。

こうして、瓜生島はしずんでいった。

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関東で大きな地震がありました。震度5弱を茨城県北部で観測しています。5年前にも大きな地震があったのに。
しかし、実は関東は地震の多いエリア、という印象があります。
1985年から4年ほど神奈川・川崎に住んでいたことがあります。
伊豆ではしょっちゅう群発地震があり、1987年にあった千葉沖の地震時、うちの高校では避難訓練の真っ最中でした。
校舎の前に集まったものの、消防所の人が急遽巡回するためにいなくなり、講話がなくなった経験があります。

自分は比較的最近まで地震と天気には100%ではないにしても関連性があるのではないか、と考えていました。
低気圧があるとき=雨とか曇りなどの日に地震があるのではないか、と。
地震といえばプレートテクトニクス理論を聞いて育った世代です。


こういう絵は良く見かけますね。
日本(陸)の下に沈みこむ(海側の)プレートとその上に乗っている(陸側の)プレートの間の、摩擦とずれによって起こるのが地震、というものです。
陸の上に高気圧があれば陸側プレートは押されるために「ずれ」が起こり難く、逆に低気圧があれば陸側のプレートは引き上げられるため「ずれ」やすい、というのが自分の想像でした。
ですが、今回の熊本地震ではその想像通りではありませんでした。
実は少し前から、直下型地震は晴れの日が多いのかも、と思う事例がありました。
・関東大震災は晴れた日に起こっています。
・兵庫県南部(阪神淡路大震災)は天気回復途上
・新潟県中越地震は天気は回復途上


プレート型と内陸に起こる断層型の地震は天気(というか気圧)による影響性向が異なるのかもしれません。
細かく調べると、100%の相関があるわけではないので、適当にお聞き流しください。


2004年10月23日 新潟県中越(断層)



2005年 3月20日 福岡県西方沖(断層)



2008年 6月14日 岩手宮城内陸(断層)



2011年 3月11日 東北地方太平洋沖(プレート)



昨日、床屋で散髪したんですが、先に来ていた客のじいさん(見た目、60~70歳くらい)が、「未来人が17日に地震が来るっち、言いよっと」と、のたまう。
じいさんの口から未来人とは。
それだけでん、未来人も過去に来た甲斐があるわなあ。
と思いました(苦笑

ネットで調べてみると、2062年から来た未来人なる人物が、2011年の東北地方太平洋沖地震に関連のある言動をしたとか(311の津波や原発事故を示唆するものが含まれていた。自然災害を教えてくれという問いに「山に登れ」と回答したりや原発事故によって海が汚染されるのか、に対して「2062年では魚が食べられない」など(いずれも2010年時点で))、さらに2016年4月の熊本地震に関係しそうな言動をしたとか(2010年時点で「次は2016年4月15日へ行く」と発言していた。それだけ。)。
他にも何か言ってるようですが、当たってないものも多いので、自分からすると、結構強引な感じ。
4月15日には未来人を名乗る人物がネット上に大量出現。そのうちの一人が5月17日に再訪すると発言したため、5月17日前後にまた大地震が来るのではないかという風説が広まったようです。
科学的な分析を行っている地震調査研究推進本部の地震調査委員会ですら、最低あと2ヶ月は用心しろよ、と言ってますからねえ。
未来人に言われんでん警戒するわい。


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