2016年5月29日日曜日

たった今、ニュル24終わりました。

最後の最後までいいもの見せるわー

昨年、

オメデトウ Subaru WRX STI

に続き、Subaru WRX STIがクラス優勝、2連覇。
すばらしいですね。おめでとうございます。今年初めにお披露目した直後のテスト走行での大クラッシュ。
一時はほんとにどうなるものか、と心配してましたが見事な結果で感動しました。
今年はAudiがTTで同クラスに参入し、その座を奪おうとやっきでしたが、途中で自滅。
ただ、スタートしてからゴールまでその座を脅かすまでには至りませんでした。
来年はその差が詰まるんでしょうか。

Nissan GTRも11位に入りました。良く頑張りましたね。
驚いたのはToyotaのC-HR、クラスとしてはSP2Tですが、完走してなんと総合83位(二桁)。クラス3位。
SUVで重心的にハンデあるのに。
この車は市販直前なので、人気出るかもしれませんね。SUVだけど「走り」もすごいぜ、って売り文句が許されますね。


今年の上位はメルセデスAMGが独占して強烈な強さを発揮しました。最後の数周にトップ2台の白熱した争いは素晴らしかったです。


100周年記念のBMWは残念でしたね。あのもらい事故はちょっと泣けますね。
Audiは期待はずれでした。おいおい、がんばらんかい。 


さー、次はルマンか。

最後に。

久しぶりに見た服部尚貴がすっげー老けててドン引きした。





ニュル24時間、ようつべでライブ中

昨晩から始まったニュル24時間耐久レース。

スタート時は晴れてましたが、突然の雷雨。
スリックタイヤは雨に弱く、走っていた車はスリップの嵐。スバルのWRXも滑ってコース外に飛び出し、先に飛び出してスタックしていた車にあわや激突、というところを神技ですり抜けていきました。ドライバー、すごすぎる。

そしてその後、なんと雹!
コース上が真っ白になってました。
当然、車は動けず赤旗も振られて一時中断。結局3時間ほどレースが止まりました。

今、日本時間の18時半ですが、レースは残り4時間を切りました。
夜から明け方(現地時間)までは雨がなくてドライ状態でしたが、コース上はまた雨が降り出しているようです。

今年はメルセデスが上位を独占。波乱はありましたが平均スピードは速いようです。
レクサスRC Fで出走している片岡選手曰く、今年のメルセデスはダウンフォースが強く、直線は早くないけどニュルのコースに合ったセッティングになっているのではないか、とのこと。
GTRもWRXもいいポジションを走っています。

このまま完走して欲しいです。




2016年5月27日金曜日

最近WRXを知りました。スバルのWRXではなく

今週末、ドイツのニュルブルクリンクで24時間耐久レースがあります。
日本のスバルがWRCから撤退した後、世界における開発試験場としてこのサーキットを選んでます。
全長は20kmを超え、世界で最大最長のサーキットと言われ、同じサーキット内でも気候変化があり、高低差もあり、過酷でさまざまな路面状況がこのサーキット内に凝縮されているため、試験場に選ぶのはスバルだけではありません。
スバルがワークスとしてWRX STIで出場しており昨年クラス優勝していますが、実は2008年からの出場で2011年、2012年にクラス優勝していて昨年は3回目のクラス優勝でした。(総合でも過去最高位の18位)
クラス内に他に強いチーム・車がない、というのは内緒。
総合ではここ数年はAudiが強いです。
強さを反映して、プライベーターもAudiを選んで出場するケースが増えて、今年出場するAudi R8 LMSは9台です。


完走するだけでも勲章ものの、このレース。今年はどんなドラマが待っていますでしょうか。



レース、WRXといえば、最近WRXを知りました。スバルのWRXではなく、
World Rally cross Championship の略称です。
WRXはFIA公認のレースカテゴリーです。2014年から世界選手権に格上げされたそうです。
クローズドのターマック・グラベル混交のコースを4周する予選と、セミファイナル、ファイナルを戦い、順位に応じてポイント数が付きます。
年間12戦で、舞台は欧米だけ。。。出場メーカーも欧米メーカーばかりです。


ようつべでLive配信もされており、過去のレースも見ることが出来ます。
ペタが昨年総合優勝し、今年も初戦優勝しています。だけど乗っている車はシトロエンDS3っていう。。。
なんと今年からあのローブも出場です!!乗っている車がプジョー208、、、くーッ!!!
ケン・ブロックがフォード・フィエスタで出てるし、グロンホルムJrも出ているぜ!すごすぎるっ。



今週末、つか昨日木曜日から今年4戦目イギリス・リッデンヒルが開催中です。

欧州中心のWRXに対し、舞台が米国のグローバル・ラリークロス(GRX)もあります。(正式にはレッドブル・グローバル・ラリークロス)
アメリカで人気のXゲームの一種目になっています。
こっちにはスバルとホンダ(今年から)も車を出しています。が、スバルは最近成績悪し。
先週開幕で1戦目と2戦目をダブルヘッダーで行ったらしいですが、ホンダシビッククーペは2戦目に3位に食い込みました。








2016年5月26日木曜日

自動運転化に向けた動きが活発です。

世間では自動運転化に向けた動きが活発です。
今日はこんなニュースがありました。
『警察庁は26日、ドライバーによる運転操作がなくても走行できる自動運転車の公道での実証実験を巡る、初のガイドライン(指針)を策定、公表。
4月7日の指針案公表後に一般の意見を募り、原案通りとした。運転者の乗車などが条件で、運転者がおらずハンドルもない「完全自動運転」は認めていない。
 指針では、安全確保やドライブレコーダーによる記録保存のほか、事故時には原因究明と、再発防止策が取られるまで実験の自制を求めている。』

現在開催中の伊勢志摩サミットでも、各国首脳を前に自動運転車がアピールされたようです。
『サミット会場で26日午後、各国の首脳がトヨタ自動車などが開発を進めている自動運転車に試乗した。
カナダのトルドー首相ら4人が試乗する一方、オバマ米大統領やメルケル独首相は欠席。
事前に入念な準備を進めてきた自動車メーカーの関係者の間では「残念」との声も上がっていた。』
半導体業界でも、車用の半導体用途は、PC、モバイルに続く新しい大きな山(半導体へのニーズがあるコンシューマー製品)として注目されています。
そういえば、今年のCESで、NVIDIAが世界初の車載AI(人工知能)としてスーパーコンピューター「DRIVE PX2」を公開してましたね。
なんでCESで車か、というあたりも今後を占う上で重要な出来事だったように思います。(今年のCESはモーターショーか?というノリでした。)
車への半導体使用は昔からありました。
エンジンの点火系だけでなく、燃料噴射系、エンジンの回転運動をいかに効率よくタイヤに伝えるか、という運動制御系も、センサー部分も含めて半導体が担っています。
運動制御はトランスミッションだけでなく、デフやサスの制御も含まれます。さらに車内の環境制御も同じです。
最近、日本ではハイブリッド車が主流になりつつありますが、これも半導体無くしては成り立たなかったでしょう。
そして、自動運転ともなると使われる半導体の量も質も拡大するんでしょうね。

日本で車載用の半導体を作っているといえばルネサス、ローム、富士電機あたりが有名ですが、車部品(特にモーター系)大手の日本電産によるルネサス買収騒動が起こっています。
ただ、ルネサスの大株主である革新機構が日本電産の元副社長で元々カルソニックカンセイの経営者だった人(呉文精氏)をルネサスの新経営者に指名しているため買収は成立しないだろうといわれています。
日本の自動車メーカーと、日産出身の革新機構の元締めである志賀氏による思惑ではないか、と見る向きがあるようです。
世界に眼を向けると車載半導体メーカー大手のNXPセミコンダクター(オランダ)のFreescale買収劇により(シェアトップになり)、ルネサスの影響力低下がウワサされています。
日産がカルソニックの株を全部売り払う、というニュースがありました。カルソニックといえば日産、日産といえばカルソニック、というほど結びつきの強い系列でした。
なにやら政治的な話が匂ってきますが、日本の製造業のトップに言いたいのは政治的な活動は別なところ(特に世界を相手に)で発揮してほしいですね。規格とか、標準化とかを決める場面で。

さて自動運転の話。
何を隠そう、自分はこの手の技術にはかなりネガティブです。
具体的に言えば「嫌い」です。
オートマ(AT,CVTなどオートマティック トランスミッション)ですら嫌悪しています。何が悲しくて、運転を自動にしなくてはいけないのか。
将来これが一般化され、自動運転が義務、になったらこの世の終わりだと思っています。
駐車(縦列など)程度を自動化するのは「アリ」かもしれませんが、運転まで自動化ならタクシーやバスに乗っているようなものです。
過渡期(自動運転の車と、そうでない車が混在する時期)に発生するトラブルは誰の責任になるんでしょうか。
事故、目的地に着かない、目的地までの時間が読めない、など。
碁の勝負でAIが勝ってしまう世の中なので完全自動化はありえる将来像かもしれませんが、人間の可能性や楽しみを奪うことが「未来の技術」とすれば悲しいことです。





2016年5月25日水曜日

エブリワンがなくなる危機

My冷蔵庫のコンビニ、エブリワンがファミマになっています。
自宅に一番近い場所のお店は地震直後に改装のため閉店しました。
お店でパンが焼けるので、地震直後でもパンが食べれてありがたかったんですが。。。
またよりにもよって、ファミマとは。

通勤路の途中にある2店も地震前に改装されてしまいました。
4月の初めにその案内を見たときは、一部のエブリワンだけかと思っていたんですけどねえ。

エブリワンのサイトに行くとこんな案内が。


ファミマ傘下でエブリワンブランドを日本中に展開したほうが多様性の面では、きっといいはずなんですが、ファミマはそのあたりの顧客心理をよくわかっていません。ファミマでいいところってTポイントくらいじゃない?
商品に魅力のあるものってあったかねえ。

まだ、熊本県内すべてのエブリワンが改装されたわけではないので、ちっと遠いですが週末は新地、合志、池田あたりのエブリワンに通うことになりそうです。だってMy冷蔵庫だし。








2016年5月24日火曜日

ソニーが業績見通し発表

ソニーの熊本テクノロジーセンター。
カメラ好きなら気になる工場であることは間違いありません。
ここも、熊本地震のため生産活動停止しています。
デジタルカメラやスマホのイメージセンサーの重要な工場の停止が、今後のデジカメやスマホの新製品に影響を与えるのではないか、と予想されています。
今日の発表では順次再開しているようですが、地震影響で通期では1150億円のマイナス影響になるらしいです。(それでも前期比2%プラス予想)
気になる点は、外販向け高機能カメラモジュールの開発・製造中止する、ということ。
これって新しいiPhoneのカメラモジュールのことじゃね?
といったルーマーが流れていますが、どうなんでしょうねえ。

2016年5月22日日曜日

Apple株急落とすかさず買った人々

先日、Appleの株価が大きく下げたのは、これまで右肩上がりだったモバイルの売り上げが、初めて前年割れを見せたからだと思います。
これは、昨年半ばから目端の利く人が既に見越していたようです。

半導体業界で言えば、昨年M&Aの動きが一段と激しくなってきてました。
PC需要はさっぱりだし、モバイルも行き渡った感があり、景気はそろそろ下降線なのかもと思っていました。
そういう捉え方では、Appleの下げもいわゆるひとつの「景気の波」の谷間にさしかかっただけ、といえるかもしれません。
そんな下げに、かの「オマハの賢人」こと金持ち爺さんが手を上げて来ました。


でも、直接の決断は爺さんではなく、彼の後継者らしいです。

さて、その半導体業界の企業の株価の推移を見ると、

Intel



tsmc



Sumsug



AMAT



AMATは先日の決算で激しく買われたようです。
今年はフラッシュメモリー向けの投資が有望らしいです。
フラッシュメモリーというと、Sumsug、SK Hynix辺りですが、投資があるんですかねえ。四日市とかマイクロンもどうなんでしょうか。
そもそも消費者は何に使うんかいな。


2016年5月21日土曜日

ボンカレー




子供の頃から食べているボンカレー。
なじみの味ですね。
今日まで知らなかったんですが、ボンカレーのTV CMは2013年に撤退していたそうです。

メーカーのアンケート調査によればボンカレーの認知度は高く、普通のCMではコストに見合った効果が得られないという判断をしたようです。
では、まったく広告活動をしていないのか、というとそうではありません。

レトルト食品って言えばボンカレーだった時代に比べ、その種類はずいぶん増えました。
熊本の地震でも、レトルト食品は大いに活躍したのではないでしょうか。
手軽で時間を取らずに料理が出来る。
そんなレトルト食品の活用方法、という面に絞ってボンカレーは忙しい母親(ワーキングママ)をターゲットにした活動をWeb上で展開しています。
TV広告よりもこういう活動のほうが今の時代にふさわしいんでしょうね。
この活動によって、売り上げが20%増加、広告宣伝費60%カットできたそうです。
すごいね。

ボンカレーのプロジェクトサイト
http://boncurry.jp/smiletableday/


2016年5月20日金曜日

「余震」の在庫一層処分

今朝、空を見上げるとすっきりした青空が広がっていました。

4月の地震発生から一ヶ月が過ぎました。
少し前にはちっとも思いもよらなかった出来事が、大変なボリュームとスピードで慌しくにぎやかに過ぎ去っていきました。
それに反して、街の風景はまだまだ地震発生時の姿のまま止まっていて、「復旧」が進んでいるのだろうか、実は時間が止まっているのではないかと、錯覚さえ覚えます。
この差に戸惑いを感じるこのごろです。
コンビニの品揃えは以前の姿に戻っていて、客足も通常通りのように見えます。
近くの温泉にあるサウナでテレビを見ると、まだL字の震災報道が続けられているようです。

会社ではまだまだ復旧の途上ですが、少しづつ前に進んでいる(地震発生前の姿に近づいている)ことは感じます。
建設会社のガテン系の人々の姿が多く、お客さんの工場立上げのサポートに行ったときに見る風景と同じように思いました。
駐車場で見かける車のナンバーも多彩で、基本的に近県(九州~山口)が多いですが、これまでのところ北限は足立ナンバーを見ました。
まだまだ頭数が増えているようで、控え室用のプレハブのブロックが今日も一つ増えていました。
満を持して来週、ようやく江戸のおえらいさまが見物に来るらしく、迅速な対応に感動です。

まだ、気象庁が出している警戒期間中です。(すくなくとも7月いっぱいまで。)
先週くらいから、アマゾンで長期保管のきく食べ物(非常食)を買っておこうと思って見ていたんですが、のきなみ品切れでした。
それが一昨日あたりから「在庫あり」に変わってきているので、何か注文しようと考えています。
非常用食品の在庫不足が解消したようです。
これとは逆に、「余震」はずいぶん回数も減ったことだし早いところ在庫一層処分してほしいです。。。


2016年5月19日木曜日

三菱自動車の相川さんが辞任

三菱自動車の相川さんが辞任、というニュースがありました。
こともあろうか(笑)、益子君が残るそうです。
憎まれっ子世にはばかる、悪貨は良貨を駆逐する、の言葉通りという印象です。
日産が提携と言う形の助け舟を出した時点で、この人事が決まったのだろうと思います。日産ゴーンの意のままになる人物として。
ですが、それはそのまま三菱自動車そのものが終わったことを意味しているように思います。
三菱の魂の復活はなくなったと思います。益子君にはそういうのは「へのつっぱりにもならん」って切り捨てそうなタイプのように見えます。
自分はもちろん、直接お会いしているわけではないのでその人となりを詳細には知りません.
勝手な推測ですが、益子君が経営権を握ってからの三菱自のていたらく(結果財務状況は改善したかもしれないが)と、燃費偽装に関する相川さんの会見(もちろん社長になってからの姿勢含め)を眺めていると、この両者には車に対する思い入れの温度差がずいぶんあると感じました。
ビジネスの世界では、思い入れで成功する人は少ないです。
ですが、思い入れや情熱がないと、いいものは作れないし、いい商売は出来ないと思いますね。

フォルクスワーゲンのアメリカでの排ガス偽装が、三菱自動車に飛び火し燃費偽装になり、次はスズキも燃費カタログ値を正規の方法で出さなかった、というニュースが出てきました。
今の時期、みんなじっぱひとからげに「偽装」とか「不正」という言葉で表されますが、それぞれは内容が違うようです。
マスコミは騒ぐだけだけ騒ぎますが、結局買うのは私たち消費者で、自分自身の選ぶ眼を問われているのかもしれません。
排ガスを見極めるのは、個人レベルではほぼ無理ですが、燃費に関しては世間の評判(や実燃費)がネットですぐに手に入ります。
日本ではカタログ値も参考になりますが、普通の人は表示値の7掛け8掛けで見ています。
自分にとっては、アメリカ人の、人の命を奪うようなトラブルを抱えた車を、その事実を隠して認めようとはせずに販売し続けたGMを叩かずに、必要以上にフォルクスワーゲンを眼の敵にする根性が、納得いかないです。




2016年5月16日月曜日

瓜生島伝説と地震と天気と未来人

今日は大分で有名な言い伝えを書きました(転載、ともいう)。
日本のアトランティスと言われています。中央構造線にまつわる400年前の大地震の際の事件でした。

後半に通常記事(といっても地震つながり)を載せてますので今日は長いです。
だって書いてる最中に関東で地震あるんだもん。
・・・いや単なる偶然です、ハイ。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

瓜生島(うりゅうじま)の言い伝え

ずっとむかし、今は島ひとつない別府湾には、多くの島々がうかんでいたという。
瓜生島は、それらの島の中でもっとも大きな島であった。
瓜生島には、ずっとむかしから言い伝えられていることがあった。
「こん島に住むもんは、言うことをよう聞いち、なかようせんといかん。なかたがいをするもんがあったら、島じゅうん神さまやら仏さまんばちがあたってしまう。そんばちというんは、こん島が海ん中に沈んでしまうんじゃ。そんときは、えびすさまんお社ん、あん木ぼりんえびすさまん顔がまっかになるちゅうことじゃ。えびすさまん顔がまっかになったときは、こん島が沈んでしまうときぞ。」
この言い伝えは、島の人たちによって、親から子へ、子から孫へと言い伝えられていった。そして島の人たちは、この言い伝えを信じて守ってきた。
おとな同士のはげしいあらそいごとも、
「そげなことをすると、えびすさまん顔があこうなるぞ。こん島が沈んでしもうてもいいんか。」
というひと言でおさまっていた。

島はのどかな日がつづいていた。ところが、そんな島の言い伝えを、
「なあに、今ごろそげなばかなことがあるもんか。そげなことは迷信にきまっちょる。」
と、信じない人もいた。そのひとりに、加藤良斉という男がいた。良斉は、島に住む医者であった。
「なんぼ神さま、仏さまちゅうても、こん島を沈めてしまうなんちゅうことがでくるはずがねえ。こりゃあ迷信にきまっちょる。ほんとうかうそか、わしがためしてみちゃるわい。」
良斉は、島の人たちにこう話してまわった。島の人たちはあわてて、
「良斉さま、なんちゅうことを言いなさるか。お医者さまともあろうあなたさまが、そげなことを言うて、とんでもねえことでございますぞ。」
と止めた。
しかし、ある晩、良斉は、こっそりとえびすさまのお社にしのびこんでいった。
「ふん、これが迷信の主か。こん顔があこうなると、こん島が沈むというんじゃな。ようし、これからためしてみちゃる。沈ませきるなら沈ませてみるがいい。」
良斉は、木ぼりのえびすさまの顔を、べにがらでまっかにぬりつぶしていった。そしてにやにやと笑いながら、何くわぬ顔をして家に帰っていった。

次の朝、島は大さわぎになった。
「たいへんじゃ、たいへんじゃあ。えびすさまん顔がまっかになっちょるぞうっ。」
「おおごとじゃあ、島が沈んでしまうぞうっ。」
「島が沈むぞうっ。」
島じゅう、どこにいっても島が沈む話ばかりであった。気の早い人は荷物をまとめ、あわてて島から出ていった。
ところが、一日たっても島には何もおこらなかった。二日目がくれた。島は少しも沈みはしなかった。
そして次の日、次の日、また次の日・・・。
十日たっても、島には何のかわりもなかった。
島からぬけ出していった人たちは、また島に帰ってきた。
「ほうら、いわんこっちゃねえ。やっぱあ迷信じゃあ。なんでえびすさまん顔があこうなったら、島が沈まなならんのか。あれあれ、あわてもんのじょうがもどってきよる。」
と、良斉はとくいであった。けれども、島の人たちはやはり気がかりでならなかった。
「たいへんなことをしてくれたもんじゃ。おおごとがおこらにゃいいがのう。こんまんますんでくるりゃあいいけんど・・・。」
と、会う人ごとにことばをかわしあった。

慶長元年(一五九六年)の六月ごろ、島がゆれた。島の人たちはふるえあがった。
「やっぱあほんとうじゃ。こん地鳴りは、神さまやら仏さまんいかりん前ぶりじゃあ。」
「島が沈むちゅうのはほんとうじゃ。良斉は、とんでんねえことをしちくれた。」
ふたたび島をぬけ出して、今の南大分の方までにげ出す人が多くなった。
七月に入っても地鳴りはつづいた。一日に三度、四度とゆれるようになった。
けれども、一日じゅうゆれつづけるわけでもないし、住みなれた土地はなかなかはなれられないもので、島にはまだ多くの人たちが残っていた。
良斉は、地鳴りのたびにびくびくしながらも、ゆれがおさまると、
「ふん、何をびくびくしちよる。言い伝えは言い伝えじゃ。迷信にきまっちょる。」
と、ひとり強がっていた。

十二日の昼すぎ、島は大ゆれにゆれた。石がきがこわれた。家がたおれた。大きなマツの木が根っこからたおれた。日ごろしずかな海が大あれにあれだした。
はるか大分の町もゆれていた。そればかりではなかった。別府の町の後ろに雄々とそびえていた木綿山(由布岳)、御宝山(鶴見岳)もあれていた。
大空にさかんに火をふき上げていた。高崎山も同じだ。大きな山くずれをおこし、美しいすがたは消えていた。
島はゆれつづけた。たてに、横にゆれつづけた。
島の人たちは、あわてにあわてた。荷物をまとめることもできないで、あっちに走り、こっちに走ってにげまわった。島はどこも同じであった。でも今はもう船も出せない。
ところが夕方近く、あの大ゆれがうそのようにしずまった。島の人たちは、べったりと腰を落とし、もう口をきく元気さえなかった。
その時である。白い馬が島じゅうを走りまわった。その白い馬には、ひとりの老人がまたがっていた。
「島が沈むぞう。瓜生島は沈んでしまうぞう。はようにげろう。はよう陸ににげろう。」
老人は、白い馬の背から大きな声でさけんでまわった。
島の人たちは思わず立ち上がり、われ先にと船にとび乗った。大分の町をめざすものもあった。日出の町をめざすものもあった。
その間にも、またはげしいゆれがきた。そして海がわれるような音で鳴りはじめた。
潮がぐんぐん引いていった。この後には何がおこるのか。津波しかない。船に乗れなかった人たちは、干上がった海を萩原をめざして走った。
やがて、老人の言ったとおり、前よりもはげしい地鳴りが島じゅうをおそった。大津波が別府湾の中をあばれまわった。
夜が明けたとき、別府湾には島がなかった。瓜生島だけではない。大久光島も小久光島も、どんな小さな島かげもみあたらなかった。
ただ朝の光をうけたどす黒い波が、どこまでもどこまでも続いていた。

こうして、瓜生島はしずんでいった。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

関東で大きな地震がありました。震度5弱を茨城県北部で観測しています。5年前にも大きな地震があったのに。
しかし、実は関東は地震の多いエリア、という印象があります。
1985年から4年ほど神奈川・川崎に住んでいたことがあります。
伊豆ではしょっちゅう群発地震があり、1987年にあった千葉沖の地震時、うちの高校では避難訓練の真っ最中でした。
校舎の前に集まったものの、消防所の人が急遽巡回するためにいなくなり、講話がなくなった経験があります。

自分は比較的最近まで地震と天気には100%ではないにしても関連性があるのではないか、と考えていました。
低気圧があるとき=雨とか曇りなどの日に地震があるのではないか、と。
地震といえばプレートテクトニクス理論を聞いて育った世代です。


こういう絵は良く見かけますね。
日本(陸)の下に沈みこむ(海側の)プレートとその上に乗っている(陸側の)プレートの間の、摩擦とずれによって起こるのが地震、というものです。
陸の上に高気圧があれば陸側プレートは押されるために「ずれ」が起こり難く、逆に低気圧があれば陸側のプレートは引き上げられるため「ずれ」やすい、というのが自分の想像でした。
ですが、今回の熊本地震ではその想像通りではありませんでした。
実は少し前から、直下型地震は晴れの日が多いのかも、と思う事例がありました。
・関東大震災は晴れた日に起こっています。
・兵庫県南部(阪神淡路大震災)は天気回復途上
・新潟県中越地震は天気は回復途上


プレート型と内陸に起こる断層型の地震は天気(というか気圧)による影響性向が異なるのかもしれません。
細かく調べると、100%の相関があるわけではないので、適当にお聞き流しください。


2004年10月23日 新潟県中越(断層)



2005年 3月20日 福岡県西方沖(断層)



2008年 6月14日 岩手宮城内陸(断層)



2011年 3月11日 東北地方太平洋沖(プレート)



昨日、床屋で散髪したんですが、先に来ていた客のじいさん(見た目、60~70歳くらい)が、「未来人が17日に地震が来るっち、言いよっと」と、のたまう。
じいさんの口から未来人とは。
それだけでん、未来人も過去に来た甲斐があるわなあ。
と思いました(苦笑

ネットで調べてみると、2062年から来た未来人なる人物が、2011年の東北地方太平洋沖地震に関連のある言動をしたとか(311の津波や原発事故を示唆するものが含まれていた。自然災害を教えてくれという問いに「山に登れ」と回答したりや原発事故によって海が汚染されるのか、に対して「2062年では魚が食べられない」など(いずれも2010年時点で))、さらに2016年4月の熊本地震に関係しそうな言動をしたとか(2010年時点で「次は2016年4月15日へ行く」と発言していた。それだけ。)。
他にも何か言ってるようですが、当たってないものも多いので、自分からすると、結構強引な感じ。
4月15日には未来人を名乗る人物がネット上に大量出現。そのうちの一人が5月17日に再訪すると発言したため、5月17日前後にまた大地震が来るのではないかという風説が広まったようです。
科学的な分析を行っている地震調査研究推進本部の地震調査委員会ですら、最低あと2ヶ月は用心しろよ、と言ってますからねえ。
未来人に言われんでん警戒するわい。


2016年5月9日月曜日

さっきの揺れは大きかった

21時になる少し前の揺れ、「わ!」って思ったけど、気象庁のサイトを見ると震度3、、、

il||li _| ̄|○ il||li


ようつべでたまにエレクトーンカバーを聞いていますが、よく聞く演奏者の一人、826askaのご本人がごく最近TV出演されていたらしく、今年中学生(14歳)ということに驚きました。
演奏自体はまだまだ「もっと表現力をつけて、うまくなってほしいなあ」レベルですが、曲目が好きな曲が多いので良く聞いてます。
Squareの曲でトワイライト イン アッパーウェスト、ってー曲があるんですが、焚き火をしながら星を見上げて聞くと、もう最高です。
大学生のとき、バイクツーリングでキャンプしながら旅をしてたんですが、そんなシチュで聞いていた頃を思い出します。(遠い目
ようつべで「826aska」で検索すればすぐ出てきますよ。

今日から多くの公立学校が再開したようです。
学校の教室や体育館に避難中の方々がいたので、再開が難しかったようですが、新たに別の避難所を用意したり集約したりして、再開にこぎつけたようです。
熊本地震で家に戻れず避難されている方、いまだに車中泊をされている方は県内で1万5千人くらいいるんじゃないでしょうか。(避難所だけで1万3000人あまり)
熊本市ではいくつかの避難所に集める予定だったのですが、ある避難所の方々は別の避難所に移ることに不安を感じたり、べつの避難所の方々は生活に支障を感じたため、集約できなかったようです。
難しい問題です。
熊本市は比較的都市圏が広く集約度がゆるく、何かにつけて移動手段に対して一定の考慮が必要なこと、住み慣れた土地への愛情度合いが強いので、住み慣れた場所から離れることに抵抗を感じる人が多いことがハードルになっているような気がします。
これは熊本だけの問題ではないと思います。
少子高齢化が進む中、便利な街中への人口集中が進めば、公共サービスのコスト低減が図れますが、実際にはそうではありません。
過疎化など、人口分布の変化がないわけではありませんが、緩やかです。
近い将来、限界集落が多発する社会では(コストだけではなく生命の安全上という理由も含め)、(これに抗う(再生させようとする)動きもありますが、)根本的な解決方法がない中で自治体によっては住民の強制的な集約を進める展開が予想されます。
ですが熊本の避難所のように、そう簡単ではなく実際には難しいのです。
経済効率化を進めていかなければ、いつまでたっても少ない税金で高コストな高齢化社会(共同体)を維持することはかないませんが、経済効率だけで人の気持ちも体も動きません。


2016年5月8日日曜日

寿命が100年縮んだことと、1万キロ

いよいよGWも終了ですか。そうですか。
今年は例年よりも自動車事故が目立ったように思いますが、気のせいですかね。

じぶんとこは地震被害の復旧のため、休日も出勤でした。
土日も出勤されている人もいました。自分も今日は出勤して復旧作業で肉体労働してました。
会社ばかりでなく、熊本全体で、まだまだ復旧活動が続いています。
熊本は午後から雨でしたが、これから梅雨を控えて河川の増水対策など、単なる復旧だけではすまないような活動が喫緊の課題でしょう、
時間との戦い、になるように思います。手抜きしてでも早く完遂すればよいというものではないので、しっかり進めてほしいと思います。

今日、市のサイトを見たら、ごみ収集の告知がありました。
週明けから一部を除きほぼ通常通り、となったようです。
詳しくは市のHPまで。


今日、会社にいるときに、たまたま建物の外にいた時間に震度3の地震に遭遇しました。
建物が揺れる音を聞きました。
ぞわぞわぞわわ~って鳥肌が立ちました。



先週も復旧作業中に2回連続で(たしか5分間隔で)震度3があって作業中断、なんてこともありあました。
そしてまた書いている間にも揺れが。
まだまだ、いや、全然油断できません、、、
150歳まで長生きするつもりでしたが、今回の地震で100年くらい寿命が縮んだ気がします。生きた心地がしません。


さて、ずっと仕事だったかといえば、そういう人も居られるのですが、自分は金曜日にお休みをいただきました。
まったくの(ほんとに)偶然ですが、車の走行距離が1万キロを越えました。
7ヶ月弱で1万キロはやや大目ですが、このうち2~3000キロは関東までの往復です。
通勤は月に800キロ。週末土日で100キロ走るとしたら月1200キロ。
まぁ、計算上は妥当な数字です。
土日に100キロも走るか?というところが謎です。

たとえば宇土半島の先端にある三角旧港にはよく行ってますが、これは往復で100キロです。
金峰山をぐるっと回ると、これは50キロです。
菊池の奥、竜門ダムに行けばこれは往復で60キロ。
竜門ダムに行かず、菊池から阿蘇の外輪山に登ってミルクロード経由で降りてくる、というルートでは100キロ弱。
山鹿の先、平山温泉には往復で60キロ

・・・ってな感じで、あっちこっち行っていたので順調に1万キロ超えちゃいました。
ここまでの平均燃費は13.7km/L
リアのホイールも、もれなく両方こすっちゃいました。(テヘペロ(死語)
とってもいい感じです。

記念の一枚でしたが、残念過ぎる一枚に!!


これはこれで「あり」か。






2016年5月7日土曜日

1300回を超えそう

と、書いている間に揺れているので、1300回を超えているかも。
(4月14日以降の震度1以上の地震の回数。熊本地方だけではありません。)


熊本市はごみであふれかえっています。路上も、家の中も。
回収がおっつかないからです。
気温は高く湿度も高いので、季節柄、衛生上よくありません。

燃やすごみは回収するようですが、燃やすごみの上に回収されないゴミ袋があると、回収されないで残りそうです。
リマインドですが、燃やすゴミ以外は回収されないのでご注意ください。


いつから回収を再開するのか、情報を求めて毎日のように市のHPをさまよっているのですが、まだその見込みは立っていないようです。














2016年5月1日日曜日

一歩づつ、前へ

5月になりました。TOP画像は阿蘇から見た熊本の青空です。

臨時災害放送局としての活動で24時間体制でさまざまな情報を伝え、リスナーの情報共有の場にもなっていたFM791が今朝から通常モードになりました。
(通常に戻るには)まだちょっと早いんじゃない?という気持ちと、2人セットで3交代するといっても8時間ぶっとおしの放送を続けるのはなかなか厳しいものがあったんじゃないかと思ってました。夕方以降の小学校校歌の時間帯とか、夜中のまったり・ゆったりモードのなか、ありがたい情報や他の人々のたいへんな状況、全国各地からの救援状況などを知ることが出来て、貴重な放送だったと思います。


FM791そのものは地震が起こる前から聞いていたのですが、今回の放送で普段は時間帯が合わなくて聞くことのなかったパーソナリティの声を聞けたのは良かったですね。
ネットによる情報も良いですが、ラジオ(特にコミュニティFMのようなローカル色の強いラジオ)の良さを改めて実感しました。





熊本市HPを見ると、断水はほぼ解消したようです。
「ほぼ」と言っても100%元の通りではないようで、市内のあっちこっちで水道工事を見かけました。
自分もつい三日前までお世話になっていた給水所も明日閉所になるようです。


●5月3日以降の応急給水所
熊本市上下水道局(中央区水前寺6-2-45)7:00~21:00
熊本新港船着き場(西区新港1-1/熊本海上保安部支援)時間未定

水の出は先週の半ばごろにようやく普通になり、10日ぶりに自宅のお風呂に入りました。
ここで何度も書きましたが、今回の地震で水の大事さを改めて、そして文字通り「痛感」しました。
市の水道局、そして救援に来てもらっている全国各地の水道局の方々に感謝です。

市長の大西さん、県知事の蒲島さんは、今回の件でたいへん活発に活動されていて気の配り方も良く出来ていると感じました。
もちろん、それでも足りない部分、行き届かない部分というのはあると思うのです。
今回の地震は尋常じゃなかった。その道のプロである気象庁もこの地震を前にして相当な緊張感で事に当たっています。
2週間経っても「油断するな」という言葉を投げかけているのはその現われだと思います。
市長さんや知事さんも体が持たないんじゃないかと心配します。また、医療関係者も同じく。
ラジオで聞いたのですが、日赤の人は日赤の駐車場に寝泊り(車中泊)して勤務を続けているひとがたくさんいるそうです。
地震がはやく収まってくれないと、これら生活を支えてくれているみんなの体が破綻しそうで気がかりです。

うちの近所含め(市内全域の)、コンビニの品物不足はあいかわらず深刻です。
お弁当・おにぎり類は種類は少ないですが大量に揃えているようです。
高速道路が応急処置の結果通れる様になり、復旧には程遠いものの植木ICの混雑は解消されたようです。
高速道路が復旧したことにより、これらの品物不足は徐々に解消されると思いますが、まだ通れない道をかかえるエリア(阿蘇とか)はまだ厳しい状況が続くと思います。



街中にごみがあふれています。
熊本市は「燃やすごみ」は定期的な回収をするようですが、その他の特殊なもの、「プラ」とか、「ペットボトル」とか「資源物」などは一時的に回収しないことになっています。災害ごみの回収を優先するためです。
こちらも早い復旧が望まれます。



そして、あいかわらず余震が、余震が、余震が、、、、
予告なしの「ドン~ユラユラ~」は、はきそうになります。
いつかは慣れるんですかね。

まだ避難所で生活している人が大勢いて、さらに車中に避難している人も少なくない状況です。仮設住宅の建設、公営住宅の募集が始まっています。
でも、まだまだ足りないようです。
とにかく今は歯を食いしばって、一歩づつ前に進んでいきましょう。