2015年5月31日日曜日

収入

ここ5年の手取りをグラフ化。
40代の額としてはかなりお恥ずかしい額なので数字は伏せています。(苦笑



基本給も同じく。ひと目盛りが1万円。



基本給以上に社会保険費が増加。上と同じくひと目盛り1万円。


5年前、基本給に対する社会保険費の割合は15%前後だったが、今年は25%になっています。

高齢化が進んでいるのでいたし方ありませんが、安倍や菅 義偉が言うほどサラリーマンはお気楽じゃないってこと。
きびしい事情は、うちの会社の社員だけって事はないとおもうが、うちの会社の給料はややきつめ。(親会社は某出版社の給与リストに載っているけど、地方子会社社員から見ると「格差」をすっごく感じる)
若い人にいたっては、これ以上なんだろうなあ。
消費が低迷、冷え込むのは致し方なし。






2015年5月27日水曜日

円が安い

近い将来の日米金利差を見込んで、ドルが買われている?
それとも、ギリシャ危機の前触れか?

2015年5月25日月曜日

ギリシャ と イギリス

ただ今、EUでホットな2カ国です。

先日、ギリシャの債務問題、で取り上げました。
ギリシャは経済危機の真っ只中にあり、明日にもデフォルトしそうな雰囲気。
つい先日も、IMFに借りていたお金の返済に行き詰ってIMFに預けている緊急準備金取り崩しで債務不履行(デフォルト)回避しました。
昨日もギリシャのブチス内務相が地元テレビに、国際通貨基金(IMF)に対する債務返済の件で6月分の返済(16億ユーロ(約2140億円))は「(国庫には)存在しない。この金は支払われないだろう」と語ったとのこと。

・・・をいをい( ̄Д ̄;;

事の良し悪しは別にして、日本の政治家なら国内のとある府がデフォルトになりそうになっても、なし崩し的な「緊急融資」とかでデフォルトさせないでしょう。
EU、特にEU内でも発言権のあるドイツはギリシャとの経済的な結びつきが強いのですが、規律を重視する国民性もあってそういう「なしくずし」を許さない、と表立ってはギリシャへの融資に否定的です。
むしろギリシャ国内の改善(年金や国家公務員の賃金切り下げ、リストラなど)でデフォルト回避するように強く求めています。
これまでの経緯から考えるとギリシャのデフォルトとEU脱退は時間の問題で、EU内でもおりこみつつあるような感じがします。実際どうなんでしょうね。
マスコミに現れるのは単なる「鞘あて」だったりするので、じっくり見ていないと実情はわからないです。

一方、イギリス。
こちらもEU抜けるんでしょうか。
ドイツがその件で調査開始したというニュースを見ました。
日本でGWだった期間中に、英国では総選挙があり、保守党が大勝しました。
その保守党は2017年までにEU残留を問う国民投票をする、という公約を掲げていたそうです。
保守党ですよ。
その支持層を考えれば、普通「EUなんてよその国と命運を共にするような枠組みに縛られるなんて、割に合わないぜー」って思っている人たちばかりじゃないですかね?
そうなると、実質的に保守党大勝=EU離脱???

挙げた2カ国は全く正反対の意味でEUから離脱しそうですが、EUそのものの求心力や地位がどれだけ影響を受けるのか。
また、その試練をEUがどう乗り越えていくのか。
非常に興味深いです。

個人的には、「EU」という国の枠を越えた共同体の取り組みはアジアにも広がってほしいと考えているので、なんとしてもこの試練を乗り越えてほしい、と思って見守っています。










2015年5月20日水曜日

魂揺さぶる戦国の空気

先日、大宰府の国博に行ってきました。
今回の特別展のお題は、

「戦国大名 - 九州の群雄とアジアの波涛 - 」

キター、コレッ!!
戦国時代、歴史好きの心を揺さぶる激動の時代ですね。この時代に生まれなくてほんとに良かった。

私は豊後国と呼ばれた大分県出身ですが、地元の江戸時代の殿様は大友氏とのゆかりはありませんでした。
多くの大分県民はそうなんですよね。戦国時代と江戸時代で支配層に連続性がなく、さらには県内各地域が小大名統治で分割されたために一体性もなかった。
長久堂の「ザビエル」のコマーシャルと歴史の教科書のみでしか、「豊後・大友氏」のすごさを知ることが出来ませんでした。
ん?銘菓「ザビエル」は関係あるんだったか、、、?

ともかくも、自分は中国史にもまれた幼少期を過ごしており、日本戦国史との係わり合いは中二の時に見たNHKの歴史ドラマ「真田太平記」(1985)がきっかけで、その後大河ドラマの「独眼流政宗」(1987)でブレークしました。この時、高1。
小6の時に見た大河「徳川家康」は、まだ教科書レベルだった気がします。
これをきっかけに池波正太郎や山岡荘八の原作を読み、次の大河「武田信玄」(新田次郎)で原作と井上靖の「風林火山」に触れ、司馬遼太郎の「覇王の家」「関が原」あたりを読んで、戦国史にはまりました。
高校生から大学生にかけて、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」で幕末に埋没、やや戦国ものを読むペースは下がったものの、大学の図書館で「大分県の歴史」(山川出版社)から始まる「**県の歴史」 山川出版社シリーズで九州各県の歴史を読んで、故郷の歴史を掘り下げてました。
大学は山梨だったので、普通に戦国時代の英雄(武田信玄)が県民の英雄、と言う状況に驚いてました。
今は熊本ですが、これまた戦国末期の英雄、加藤清正が慕われている状況と似ています。
ようやく九州に戻ったところで今回の展示、「戦国大名 - 九州の群雄とアジアの波涛 - 」は、そんな歴史好きにはたまらない催し物だったのです。

ちなみに本展示は九州国立博物館開館10周年記念特別展、という節目を飾るものとなっております。
(今年度の展示はすべてこの看板が付きそうです。)

前置きが長くなりました。これから内容を紹介しましょう。
三つのまとまりに分かれています。

第一章 大友宗麟の栄光と挫折


豊後国をベースに、最盛期には九州北部(豊後、筑前、筑後、肥前、肥後、日向)を支配下に置いた我らが大友宗麟にまつわる展示です。
栄光面では、九州一の大名に成長し、九州だけにとどまらず博多から明との交易、キリシタン大名としてローマに使節を派遣するなど、世界規模の発信をしていたことを知ることが出来ます。
ここでは本展示を通して一番の見所と言っていい、天下の名物「新田肩衝」を目の前で見ることが出来ます。


すごいです。
この茶器(茶入れ)は大友家だけではなく、当時の著名人の手を渡って無事に後世に伝えられた点でもすごいことなのです。どういった変遷を経てきたか、大きなパネルによる説明があります。
もうひとつ、「上杉瓢箪」も見ることが出来ます。
自分はこの時点で「やばかった」です。猛烈に感激しまくってました。

そして、雷切(丸)。


戦国時代の一番の名将は誰でしょうか。
織田信長?いえいえ。
豊臣秀吉? とんでもない。
日本一の兵(つわもの)と称された真田信繁(幸村)? ん~残念。

戦国時代で最も名将と呼ぶにふさわしいのは立花道雪(戸次鑑連)です。

そして、この刀が立花道雪所有の刀です。写真上段が世に名高き、雷切(丸)。
ここでその由来を書くまでもないでしょう。もうこの時点で自分はおなかいっぱいでした。
下段の「薙刀」も戸次鑑連の所有だったものです。


上写真左の人物絵が鑑連。絵の中で彼の左に立てかけてある刀が雷切。

戸次鑑連(立花道雪)は、私にとって戦国一の英雄ですが、その主君の宗麟ちゃんは、ダメ男です。突っ込みどころ満載です。
前にも書いたことがあると思うのですが、彼の父親の大友義鑑が目の付け所の良い主君で、息子の宗麟義鎮が九州北部の覇者となる土台を築いたのです。
晩年というか、その生涯の最後に犯すべからざるミスをしました。
最後が残念ではありましたが、父親の残した家臣団が大友家の分裂を防ぎ、宗麟を九州の覇者に盛り上げたのです。

第二章 戦国九州を疾駆した大名たち
戦国時代に九州を舞台に活躍した男たちにまつわる展示になります。
毛利元就、島津、龍造寺、小早川隆景、鍋島直茂、黒田長政、加藤清正



ここでのお勧めは、この16世紀から17世紀にかけて描かれた武将の姿(上写真)と、大水牛、と呼ばれる黒田長政の兜です。
正式名は「黒漆塗桃形大水牛脇立兜」


大振りに見えますが、これで軽量な兜なのだそうです。桃形(ももなり)と言う兜本体の形は、西洋兜の影響があるそうです。


(絵)心を刺激するのは
「梅に鴉図襖」


これは小早川隆景ゆかりの品です。
今でこそ、大河ドラマのおかげで福岡は黒田家の支配地域だったことが知れ渡っていますが、それ以前、豊臣秀吉による九州遠征以降は小早川隆景によって支配されていました。
その経緯もさることながら、襖絵として非常に優雅で見事な絵です。一見の価値ありです。


第三章は九州の大名とアジアの海と題して、交易品や交易の書状(朱印状)が紹介されています。
対馬宗氏による、朝鮮国王の偽国書とか、偽印とかもあります。(写真)



その当時宗氏が必死になって戦争(文禄・慶長の役)を回避しようとしたことがわかる資料が展示されています。
まぁ、しかし宗氏の政治力の限界、と言う気がしますけどね。

いやー素晴らしい展示でした。
九州の戦国大名に光を当てている点では、見ごたえもあり地元の英雄?を知るいい機会であったとおもいます。
惜しむらくは、内容がメジャー過ぎている点でしょうか。
天下一の「義人」と言っていい筑後の蒲池鑑盛や、九州の桶狭間と言っていい「木崎原の戦い」の紹介などに手が届いているともっと良かったです。
九州三国志、というような視点をもっと掘り下げて欲しかったです。
大友氏に偏りすぎてましたな。大分県民にとっては満足感高いです。

ぜひ戦国好きじゃない方にも見て欲しいです。
特に、
「新田肩衝」「上杉瓢箪」と「雷切」、「梅に鴉図襖」は
はお勧めです。
(なぜこれらが「国宝」でないのか、甚だ納得いきませんが。(苦笑))

会期は5月31日までとなっています。お見逃しなく。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

写真は開館10周年記念を迎えた

「九州国立博物館」

ご覧のスポンサーからの提供でお送りいたしました。
(*転載とかしないでね。)

2015年5月19日火曜日

オメデトウ Subaru WRX STI

SUBARUのWRXが、やってくれました。


ドイツのニュルブリンクリンクで行われた24時間耐久レースで3年ぶりとなるクラス優勝!
総合でも18位。
これって17位以上はみんなクラス上。19位以下もまだまだクラス上ばっかりっていう。



総合成績(11位から20位まで)





同じクラスの2位とは12周差っていう圧倒的な差(ぶっちぎり、って言う)。


クラス順位表(SP3T)







今回、辰巳監督がかなり気合入れてましたからね。
ドライバーズシートを左にしたのはかなり影響あったんじゃないですかねえ。
ともかく、最初から最後まで圧巻でした。ほんと良かった。おめでとうございます。








2015年5月18日月曜日

大阪都構想の住民投票

「賛成」69万4844票、「反対」70万5585票


投票率は68%


結果は真っ二つに割れました。賛否に悩んだ府民の姿が透けて見えます。


私は他府県の住民なので、どうこう言える立場にはありませんが残念な結果でした。


タカ派な姿勢の橋本さんの支持者ではないし、マスコミのフィルターを通して見るその姿は過激な部分もあったので積極的な同情はしませんが、この差は非常に重く感じました。


結果として差がどうあれ、大阪府民は保守的な方向を選んだ、ということです。


反対派政党の主張には全く見るべきものがないので、橋本さんの政治が終わっても、おそらく以前の閉塞感あふれる世界に戻るだけで、決して良い方向には行かないんじゃないか、と思います。


今回の住民投票でおもうのは、今回の主役は橋本さんではなく大阪府民そのものだったということです。


マスコミの報道でその点について踏み込んだ分析をしているところがなく、ただ橋本さんにケチをつけるだけに終始しているのは象徴的な気がします。


差が1万0741票で、無効票が5640票だったそうです。
この点について、橋本さんが悪あがきをせず、淡々と自らの進退を決めた点は大変評価します。ちょっと見直しました。
この差を考えるべきは橋本さんではなく府民自身であるべきです。


民主政治において、基本的に主役は政治家ではなく投票権持つものすべてである、ということを改めて考えさせられた出来事でした。




2015年5月14日木曜日

集団的自衛権行使法案=戦争法案を閣議決定(独裁じゃん)

「安倍政府は14日夕、集団的自衛権の行使などが可能になる安全保障の関連法案を閣議決定」


集団的自衛権、なんていうのは態の良い言い方で、持っている武力を使いたいときに使える権利、ってことです。
つまり、この法案は戦争への参加(武力行使)を「比較的ゆるい許容範囲で」可能にする法案。
これを、首相とそのお友達だけで作っちゃいました。
法案策定の是非から国会で議論すべきです。
この人はもう独裁者といって良いでしょう。


この人、アメリカの戦争に付き合うことになる、ということは「絶対に」ない、と嘯いてました。


政治家の言う、「絶対」という言葉ほどあてにならないものはないし、そういう表現をすること自体、すでに聴衆をこけにしようという気持ちの表れとしか思えませんね。ありていに言えば、そういう言葉を発することは「誠意」がない、ということです。
戦後から、これまでの間に政治家だけでなく民間も一緒になって築いてきた「平和を希求する日本」のイメージを勝手に、そして無責任に崩そうとしています。


この人、危険すぎます。


せめてこの法案が国会で廃案になることを祈りたいですが、今の自民政権に良心が残っているだろうか。
そもそも武力行使を禁じている憲法に違反しているんです。
国民と野党、最高裁、がまとまって、No!をたたきつけるべきです。








2015年5月13日水曜日

次に乗りたい車

次に乗りたい車、自分がお勧めの車を集めて、カカクコムのサイトで比較リストを作りました。
中古まで含めると、もっと有ります。
が、ひとまず今現役で買える、試乗出来そうな車を拾って見ました。
価格が似たようなものになったのはあくまで偶然です。






意外と輸入車が多くなりました。
日本車で軽量スポーティーな車って少なくなりました。
ここに日産のニスモ系、スズキのスイスポ、マツダのロードスターを入れるかどうか迷ったんですが、、、迷ってます(苦笑
軽量とか言っている割にWRXとかZを入れてますが、WRXは経験済みのいい車なので最後にはここに戻りそうな気がします。Zは、、、正直「比較」のために入れて見ました、ってだけ。
ゴルフRも同じく。こいつは、実はWRXより重い。
自分が次に乗るとしたら、MTが基本なので、VWの2車種は番外です。

今年、このリストの車を試乗していきます。






2015年5月11日月曜日

いちからやり直しっす。

昨年の夏、自宅PCの外付けHDDでトラブル発生してました。


今週で7月も終わりだなんて・・・ しかも焦っている




その後、HDDのデータ修復を行っている会社を何箇所かあたってみたんですが、ダメでした。


回復不可能、、、、


一番痛いのは、2014年春以前のカメラ画像データがすべてなくなったことです。(200GBくらいありました)
主に2000年以降の旅(ペルー、カンボジア、北京などなどとか、国内あっちこっち)、ダイビング関係の海中写真がすべてなくなっちゃいました。
他にも、趣味上の過去履歴(車とかダイビングとか)やホームページ情報、などなどが入っていたのでかなりへこんでます。


バックアップは大事ですね。


いちからやり直しっす。




さぷらーいず!



時間的には昨日になるんだが、ネットでその情報を知り、実際に動画を見て、


・・・悶絶した!!









むちゃくちゃすげえェェェ


つか、やっぱブルースリー、かっちょいいよな。


2015年5月10日日曜日

洗濯表示が変わるってよ

といっても、来年末以降の話。
ネットでニュース見てたら、そんな記事があったので自分のためのメモ書き。


従来はこんな感じ。



来年末以降は国際規格にあわせてこんな風に変わる。



個々の記号については以下。

















消費者庁のサイトに詳しい解説あり。


従来 ~H28.11.30まで (2016.11.30まで)
http://www.caa.go.jp/hinpyo/guide/wash.html


新表示 H28.12.01以降 (2016.12.01~)
http://www.caa.go.jp/hinpyo/guide/wash_01.html


2015年5月6日水曜日

少し変えました。

何を変えたかと言うと、


フォント。


cocologでは、カスタムテーマだとスタイルシート(CSS)でフォントの指定が出来ます。
本文欄のみですが、以下の記述を加えました。


font-family: Verdana, "ヒラギノ角ゴ ProN","Hiragino Kaku Gothic ProN", "Meiryo UI", sans-serif;


今まではMS Pゴシックでした。(ココログのデザインページだと、日本語ゴシックP、と表示される)
font-familyに游ゴシック体を入れるかどうか迷ったんですが、自分のPC(Win7)では確認しようがないのと閲覧率の少なさで見送りました。
一般には游ゴシック体は美しいと評判です。Win8.1以降では標準で入っています。Macでも共通らしいです。なので入れるとしたらヒラギノより前になるんでしょうね。
自分とこに来ている人の割合で見るとWin8.1は8%弱くらいでまだまだ少ない。


ちなみにWinは45%で、iOSは28%、Androidは22%でした。iPhone影響大ですな。iOSとMac向けにヒラギノを入れたんだけど、もう一方のMacは3%くらい。
モバイルで見ている人が半数っていうのにフォントとか言っても意味があるのかわかりませんが。


ところでついさっき、またもやうちのNexus7にシステムアップデートが降ってきました。
こないだ5.1にしたばっかやん。。。




2015年5月5日火曜日

鞠智城、鼓楼の眺め

お医者さんからもらった吸入薬のおかげか、のど(というか肺)の調子がすこしづつよくなっているような気がします。
昨日まで熊本は雨でしたが、今日は打って変わって晴天!
洗濯物を片付けて、気晴らしに鞠智城に行きました。


(2015.5.5 鞠智城、鼓楼  byNEX5N E 18-55mm 18mm F 13 ISO100 1/125)


そしたらなんと、鼓楼の上に大きな階段がかけられています。
鼓楼の内部、しかも2階3階に上がれるイベント開催中でした。



(2015.5.5 鼓楼に登って  byNEX5N E 18-55mm 18mm F 5.6 ISO100 1/500)


(2015.5.5 鼓楼2階への階段  byNEX5N E 18-55mm 18mm F 5.6 ISO100 1/500)


2階に上がると内部でしばし待ち時間があります。3階に登るには、「はしご」を使うのですが、一つしかないので、登る人降りる人が順番待ちをしています。


(2015.5.5 鼓楼2階内部主柱上部  byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1250 1/60)


はて、主柱に2階の屋根(天井)部分が繋がっているように見えません。どうなってんの?



(2015.5.5 鼓楼2階内部 床  byNEX5N E 18-55mm 19mm F 4.0 ISO640 1/60)



(2015.5.5 鼓楼2階内部 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1000 1/60)


主柱の周りに柱があってそれが2階の屋根(天井)を支えています。
実は、主柱は建物そのものを支えていません。最上部だけ繋がっています。
1階の上に2階を建て2階の上に3階を建てて、その三階の屋根の上部部分だけ主柱と接触しているという、奇妙な造り。
このときの1階の柱と、2階の柱は連続していません。1階の屋根の上(2階の床)に、2階の柱(上写真の主柱以外)を建てて作っています。



(2015.5.5 鼓楼3階 窓から  byNEX5N E 18-55mm 18mm F 9.0 ISO100 1/100)
3階へははしごで登ります。爺さんとかよく登るよなあ。ばあちゃんは降りるとき、足が下りる場所を探して宙をさまよっていました(w



(2015.5.5 鼓楼3階 西 熊本市方面  byNEX5N E 18-55mm 20mm F 13 ISO100 1/160)


古代の人も、こんな風景を見てた。



(2015.5.5 鼓楼3階 西北 板倉 兵舎  byNEX5N E 18-55mm 18mm F 13 ISO100 1/160)


(2015.5.5 鼓楼3階 南 温故創生館 駐車場 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 11 ISO100 1/100)





(2015.5.5 鼓楼3階 欄干  byNEX5N E 18-55mm 18mm F 7.1 ISO100 1/80)


(2015.5.5 鼓楼3階 屋根  byNEX5N E 18-55mm 18mm F 9.0 ISO100 1/100)



(2015.5.5 鼓楼3階 窓の扉  byNEX5N E 18-55mm 18mm F 6.3 ISO100 1/80)




(2015.5.5 鼓楼3階内部 主柱上部  byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO1000 1/60)




この3階が最上階。主柱もこの見えるところのさらに上の屋根の部分で繋がっている、らしい。


(2015.5.5 鼓楼3階内部 主柱下部 床  byNEX5N E 18-55mm 19mm F 4.0 ISO160 1/60)





本来はこの階に鼓を置いて、時間を告げていたはず。
それにしては、狭い。7世紀後期の鼓とはいかなるものか。
それから、3階の柱は角材になっている。(あくまで復元で、当時のものではありません。)


(2015.5.5 鼓楼2-3階外部 byNEX5N E 18-55mm 55mm F 9.0 ISO100 1/125)




(2015.5.5 板倉と鼓楼 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 11 ISO100 1/100)




(2015.5.5 兵舎 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 11 ISO100 1/100)


気持ちのいい風が吹いてました。


まったく予想してなかったので、すっごく得した気分です。(鼓楼に登れるのは、毎年GWと10月の鞠智城の日のイベント時のみ)


2015年5月4日月曜日

回民街で夕食(水餃子)

「食ったー、羊肉泡饃うまかったー」
食べ終えて、時刻は18:30くらい。
ひとごこちついたので回民街をぶらぶらすることにしました。


(2015.4.11 回民街の日本語看板  byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO250 1/160)

「メイソウ?」なぜ日本語が!?しかもこんなディープな場所に?!
数年前だと絶対襲撃されているな。



(2015.4.11 肉夹饃の看板 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO250 1/160)

肉夹饃(ロージャーモオ)は陝西風バーガーと言ったかんじ。甘辛く味付けたほぐし肉を饃で挟んであるだけの、チョーシンプルなもの。
お客さんとこの工場食堂で食べた。まぁまぁ旨い。


(2015.4.11 回民街の風景1 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO125 1/160)



(2015.4.11 回族の服装 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO250 1/160)


何度も書いてますが、回民とはムスリム(イスラム教徒)のこと。顔とか体つきは他の中国の人々と大して変わんない。違うのは身につけているものくらいしかない。
男の人は白い料理人のような帽子。女性はスカーフを頭にかぶっている。



(2015.4.11 ○×麺 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO160 1/160)


陝西の特殊な食べ物の代表と言えば、羊肉料理がそうですが、この麺(面)も負けず劣らず代表的。老李家は恐らく屋号みたいなもの。そのあとの難解な文字、あなたは読めますか。


ビャンビャン、メンって読みます。麺は幅広の麺。きしめんより、ほうとうより、もっと幅広。似た様なものだけど(w 他の地域の中国人も「ベルト麺」とか言っています。
今回食べることが出来ませんでした。


(2015.4.11 回民街の風景2 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.5 ISO100 1/60)




(2015.4.11 串入れ byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO500 1/60)


羊肉(ヤンロー)とか牛肉(ニョウロー)の串。食べ終わったらここに入れましょう、的なゴミ箱に、みんなきちんと入れてるのが、ちょっと新鮮。観光客向けの通りなのですが、この時期はほとんど中国人観光客ばっかり。
きちんと入れすぎて針山みたいになっちょる。




(2015.4.11 西羊市 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO200 1/60)

回民街にはいくつかの通りがあります。ここまで歩いてきた鼓楼に通じるメインの通りが「北院門」。
その途中で西に伸びる通りがこの「西羊市」





(2015.4.11 回民街の屋台スイーツ? byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO160 1/60)

カステラに似たような雰囲気のもの。回民街の屋台でよく見かけましたが。。。ちょっと食べてみたかった。残念。





(2015.4.11 回民街の屋台の羊肉串 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO320 1/60)


羊肉串焼いている。。。ゴクリ。旨そうなにおいが、、、、



(2015.4.11 回民街の屋台のナニカ? byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO320 1/60)


こんにゃく?のようなプルンプルンしたもの。なんでしょうねえ。ちょっと辛そうな色合い。
どんぶりのようなうつわを逆さにして細切れにしてました。



(2015.4.11 柘榴 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO100 1/60)


柘榴(ざくろ)。このまま手動で押しつぶす機械があって、見ているそばでジュース作ってました。あまりにおいしそうなんでザクロジュース買って飲みました。100%ザクロジュース。ウマー





(2015.4.11 回民街の風景3 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO125 1/60)


PM2.5が何か?といわんばかりに濛々と焼き串の煙が立ち上っております。
うまそうなにおいに満ちております。





(2015.4.11 回族の娘 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO320 1/60)

回族の女の子。家族で商売やっているんですね。





(2015.4.11 回民街の屋台の干し果物1 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO400 1/60)


西域といえば、フルーツ。キャラバンは砂漠を越えて西のオアシス国家に向かうため、日持ちのする干し果物を求め、市場に向かった、、、




たぶん、唐の時代もこんな風景だったんだとおもうんですよね。



(2015.4.11 回民街の屋台の干し棗 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO400 1/60)

干し棗っていえば、西域の定番。







(2015.4.11 回民街の屋台の干し果物2 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO320 1/60)

小野妹子や阿倍仲麻呂も、干し果物食べたんじゃないだろうか。





(2015.4.11 西羊市の水餃屋 byNEX5N E 18-55mm 26mm F 4.0 ISO500 1/60)




前から、水餃食べたい、と言っていたので餃子屋さんに寄りました。



(2015.4.11 韮と卵の水餃 byNEX5N E 18-55mm 28mm F 4.0 ISO500 1/60)

これは韮と卵の水餃。これと、羊肉水餃を一盛を注文しました。





(2015.4.11 完食の水餃 byNEX5N E 18-55mm 32mm F 4.0 ISO320 1/60)

もちろん、ふた皿とも完食。うかまったー。






(2015.4.11 不明の文字(アラビア語?) byNEX5N E 18-55mm 32mm F 4.0 ISO640 1/60)


何語ですか??






(2015.4.11 水餃店前の大なべ byNEX5N E 18-55mm 32mm F 4.0 ISO500 1/60)

店の前にあった大なべ。










(2015.4.11 回民街の夜景 byNEX5N E 18-55mm 32mm F 4.0 ISO125 1/60)

水餃食べ終わったら、19:30くらい。いい感じの風景です。



(2015.4.11 回民街の屋台の羊肉串2 byNEX5N E 18-55mm 32mm F 4.0 ISO800 1/60)

焼かれる前の羊肉串。




(2015.4.11 あめつき byNEX5N E 18-55mm 32mm F 4.0 ISO4020 1/60)

甘いにおいがするとおもったら、お兄さんたちが飴をたたいて伸ばしていました。




(2015.4.11 回民街の夜景2 byNEX5N E 18-55mm 32mm F 4.0 ISO500 1/60)

イヤーいいですな。また来たい。


(2015.4.11 回民街の夜景3 byNEX5N E 18-55mm 32mm F 4.0 ISO2000 1/60)

PM2.5はここで作られる、、、わけではない。もし、そうだったらおいしそうな匂いでいいんだけどねえ。




(2015.4.11 夜の鼓動(北側) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO640 1/60)

夜の鼓楼。ライトアップされてました。




(2015.4.11 夜の鼓動(南側) byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO1600 1/60)

鼓楼の反対側(南側)の額には「文武盛地」とあります。調べたけど意味はわかりませんでした。


(2015.4.11 夜の鼓動と連凧  byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO1250 1/60)

クリックして拡大するとわかりますが、連凧があがってました。風がほとんどないのに、どうやってあげたんだろう。





(2015.4.11 夜の鐘楼 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO500 1/60)

鐘楼もきれいにライトアップされてました。





(2015.4.11 夜の鐘楼付近の広場 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO3200 1/60)

昼間やってた人たちがまだやっているのでしょうか。





(2015.4.11 西安地下鉄のチケット(表) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO3200 1/160)

地下鉄でホテルまで帰りました。ホテルは地下鉄駅のすぐ近く。チケットは自販機で買います。ICカードです。ゲートでは、入るときはかざすだけでOK。出るときはカードを入れるとこに入れます。
近場だと2元(40円)です。バスの料金と一緒じゃん。やっすーい。




(2015.4.11 西安地下鉄のチケット(裏) byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2500 1/160)

チケットの裏側。


(2015.4.11 西安地下鉄2号線 byNEX5N E 18-55mm 18mm F 4.0 ISO2000 1/160)

南北に走っている、西安地下鉄2号線。営業しているのは1号線と2号線。計画では6号線まであるらしい。




(2015.4.11 KFCと早餐 byNEX5N E 18-55mm 19mm F 4.0 ISO2500 1/160)

ホテルの近くのケンタッキー。

実は、中国人の同僚から「KFCも早餐のサービス始めたよ」と聞いていましたが、良く見ると確かに6:00から早餐サービスします的な表示がある。
ちなみに出るメニューは、お粥、油條、熱豆漿 の模様。





(2015.4.11 ホテル前 byNEX5N E 18-55mm 20mm F 4.0 ISO1600 1/160)

あー、終わってしもうた。次はプライベートで来るとしよう。



ヒャッホーXi’an篇は以上で終了です。翌朝5:00起きで8時の飛行機に乗り、無事帰国出来ました。
帰国するまでの間は特に書き留めることもなかったのでアップしません。
予想以上に仕事が順調に進んだので帰国までの時間を利用して、子供の頃からあこがれていた場所に行ったり見たりすることが出来ました。
思っていた以上に歴史を感じる街で、思っていたよりも、都会で、意外ときれいで、食い物はほっぺた落ちそうなほどすげーうまくて、相変わらず中国の人は老人子供を大切にするけど、交通法規は誰決めたのそれ?見たいな感じで全く守る気ない感じで、それでも、ちょっと路地に入ると昭和の、自分が子供の頃の少し前のような雰囲気の場所でおっさんがスマホいじってて、いろいろカオスな場所でした。
ますます中国好きになりました。


日本と中国の人がもっと分かり合って、今以上に仲良くなりますように。